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生き方の達人を上書きする

ケアマネジャーから訪問リハビリの依頼を受けます。

私たち訪問スタッフは、利用者さんの情報が書いてある「フェースシート」を、訪問する前に確認します。

利用者さんの名前や年齢はもちろんのこと、今の病気が何で、どんな症状があって、過去にいつ、どんな病気になっていたのかまで確認しています。

経験を重ねてくると、フェースシートの内容を見たたけで、それに近い過去のモデルを思い起こし、だいたいの利用者像が浮かんできます。

「92歳の女性、大腿骨のケガ」

という情報だけで、歩けても伝い歩きかもしれないし、ひょっとしたら車椅子で移動になっているかもしれない、と想像できます。

92歳のイトさんは、大腿骨骨頭壊死という病気です。
読みかたは「ダイタイコツコットウエシ」です。

左足の付け根の骨の一部分が溶けてなくなっている状態でした。

レントゲン写真では、股関節の骨の部分が、ポコッと黒くなっていました。

イトさんは、左足の股関節が曲げることができず、歩くときは常に、左足を引きずっていました。

ベッドやイスからは、手すりを握っていないと立ち上がることができませんでした。

歩くスピードはゆっくりでしたが、杖を使いながら伝い歩きしていました。もちろん左足での片足立ちはできません。

そのイトさんが階段を昇っていました。
訪問前に描いていた過去の利用者モデルと、はるかにかけ離れていました。

「えっ、本当に階段を昇り降りされているんですか」

私が訪問して、イトさんに最初に確認した内容でした。

「ほんまでっか」

心の中でつぶやきました。

もちろんイトさんがウソをついているとは思いませんでしたが、それほど過去の利用者モデルから、かけ離れていたケースでした。

イトさんは足が不自由なのに、2階の自分の部屋で過ごしていました。
イトさんの部屋は東と南に大きな窓があり、日当たりが良くすごく気に入っていました。

幸いトイレは2階にありましたが、お風呂や食事をするために、1日に3回以上、階段を使う必要がありました。

実際に階段を昇っているところを見せてもらいました。
当たり前ですが、階段は少しでも踏み外すと、大ケガにつながります。
もちろんイトさんは、それを十分承知でした。

イトさんは、手すりをしっかりと持ち、階段の踏み場を1段ずつ確認しながら、慎重に足を運んでいました。

まず、ケガしていない右足を先に動かして、次の踏み場に着いて安定したあとで、ようやくケガしている左足が動き出しました。

ケガをしている左足の付け根が曲がりづらかったので、階段を昇るときは、ケガをしている左足を持ち上げるために、ズボンの太ももの部分を手で引っ張っていました。

「階段を上ってはる。信じられへん」

しばらく見つめていました。

イトさんの階段を昇る動作は、まるでビデオのコマ送りの画像を見ているかのような動きでした。

ピッケルを打ち込んで固定し、足場を確かめながら慎重に踏み出す、冬登山さながらでした。

同じ踏み場に両足がそろうと、手すりを上の方に持ち直して、ゆっくりとまた、ケガしていない右足を出していきました。

普通の人なら数秒で昇れる15段の階段を、2分以上かかっていました。
2階の部屋へ行ったり来たりするのに、毎日3回以上、この階段の昇り降りを繰り返していました。

ある日のリハビリのとき、階段の昇り降りについて、イトさんに聞いてみました。

「毎日、階段の昇り降りしてはるけど、どないですか?」

「2階の昇り降りは、ホンマに面倒くさいねんけど、何よりこの面倒くさいことが、一番リハビリになると思っているねん」

「素晴らしいです」と言いながら、

「お見事です」

と心の中で叫んでいました。

イトさんにとっては、この階段の昇り降りが、残っている足の筋力を維持することになっていて、いいリハビリになっていたようです。

経験を重ねるたびに、

「同じ状態でも頑張っている人がいる」

と思うと、定期的な利用者モデルの書き換えが必要です。

「こうだからこのはずだ」

という思い込みも書き直さないといけません。

足の付け根の骨がなくなっていても、階段を昇り降りされているモデルがいることを、自分のファイルに上書きしました。

と同時に、

人生の生き方のモデルとして、自分の心の中にある「生きかたの達人」を上書きしました。


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