鬼滅の刃を見てきた|悔しさと焦りとある種の開き直りと。
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最近の気づきとして、人には(グラデーションがあれど)ナチュラルボーンポジティブとナチュラルボーンネガティブがいるのだと。
なぜ生きるのかと問うた時に、生きていたら楽しいことがあるから、と自然に言える人が多くて驚いた。
自分にとっては人生はいつもハードモードで、常に「自分には価値がある」ということを証明し続けなければならないとどこか思っていて。どこかで気を抜いたら、一気に価値がない人生になるんだろうな、と思っている。デフォルトがマイナスで、それをプラスにするために足掻いている感覚がある。
何かを成し遂げなければ生まれた意味がない、どこかにそんな気持ちがあって、それでも、もう、27歳の自分の現在地に、自分の人生大体この先これくらいなのかも、凡人として終わるんだろうな、と思ってしまうことがあって。じゃあ、私の人生の価値や意味はどこにあるんだろうかと自分を追い詰める。
「悔しいなぁ 何か一つできるようになっても またすぐ目の前に 分厚い壁があるんだ すごい人はもっとずっと先のところで戦っているのに 俺はまだそこに行けない」「自分もいつかそうなれるのかな」(話題の鬼滅の刃を前提知識0の状態で見てきた。)
そんなことを日々思う。そもそも何かを成し遂げる人と自分は違うのではないかとも。(きっと鬼滅の子が思っているニュアンスとは違うのだけど)
頭では何かを積み重ねていくしかないとわかっている。できるかできないかじゃなくて、やるかやらないかだということもわかっている。
「弱気なこと言ってんじゃねぇ!!なれるかなれねぇかなんてくだらねぇこと言うんじゃねぇ!!信じると言われたならそれに応えること以外考えんじゃねぇ!!」(鬼滅の刃で猪被った子が言ってた。)
そんな焦りの中で、そもそも「何かを証明するために生きる」ことを一度辞めてみよう、と思ったのがこの1週間。
どこか無意識に、見えない誰かや何か、もしくは自分自身に自分の人生の価値を証明し続けるために生きてきたけれど、それを証明する必要ってそもそもなんだったんだろうと。
何かを証明するために何かをするのではなく、やりたいからやる、できるようになりたいから努力する。それが一番最強なんだろうなと、ナチュラルボーンポジティブ人材を見ていて思う。やりたいことをやることにコミットする。そういう人が、振り返った時にきっと何かを成し遂げている人でもあるのだろう。
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