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頑張るは繋がる。

最近朝ドラを見ている。
夏の全国高等学校野球選手権大会の歌『栄冠は君に輝く』
早稲田大学第一応援歌『紺碧の空』を生み出した、
作曲家 古関裕而を題材にした『エール』。

特に『紺碧の空』にフィーチャーした先週1週間、
早稲田大学応援部出身の私の周りは、この朝ドラの話題で持ちきりだった。

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「連敗続きの早稲田が勝てるような応援歌をつくって欲しい。」
応援団長のその言葉から始まった、古関による『紺碧の空』の作曲。

「早稲田が慶應勝てないのは、
 (応援歌や応援部の良し悪しではなく)野球部が弱いだけでは?」
劇中、作曲に行き詰まり、半ば自棄になって発した古関のその言葉に、
三浦貴大演じる応援団長は、応援部の存在意義、
応援することの意味を見つめ直す。

"自己満足なのでは?" "勝たせるってなんだ?"
"応援は勝敗を左右するのか?" "私たちが楽しんでいるだけでは"

私自身、応援部として活動する中で何度も思った。

それでも、当時の野球部の仲間たちからの感謝の声に、
私たちのやっていることは無意味ではなかったんだ、と気づかされた。

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自分のスタイルを貫き、自分の見栄にこだわるばかりに、
いつまで経っても応援歌が書けない古関。

そんな古関に、
ラジオを通して届く早慶戦での選手の奮闘に勇気づけられ
過酷な手術を乗り越えた旧友について語りながら、団長は言う。

「誰かの頑張りを見て、頑張れる人がいる。」
「頑張るは繋がる。」

その言葉を聞いて、それまで自分のためだけに曲を作っていた古関は、
初めて"誰かのために頑張る"ことを知り、人の心を動かす曲を生み出す。

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少し話がずれるけれど。
最近ふと思うのは、

"自分のため"だけだと頑張れない。
"社会のため"だけだと少し遠い。

身近な誰か、"大切な誰かのため"が
そんな"自分のため"と"社会のため"を橋渡しするのだということ。

この1,2ヶ月、単身赴任中のパートナーにも、
大好きな家族や友人にも会えず、物理的にもひとりで。
なんだかきっと精神的にもひとりで、ひたすらに
「最高の人生を送りたい」「社会を前に進めたい」という思いで
目の前の仕事に取り組んできた。

その気持ちは、これからも大事に握り締めていくけれど、
少しだけ息切れしてきた今、思うのは、
やっぱり"誰かのため"は強いと言うこと。

非常事態宣言も解除され、もうすぐ、遠くに住むパートナーに会える。
目の前のこの人のため、そう思ったら、もっと頑張れる。
もっともっと遠くまで走れる気がする。

頑張るは繋がる。

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