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第22回 つねよし百貨店の挑戦!持続可能な商店を地域で営むには?

2017.12.16
東田一馬
つねよし百貨店/里の公共員


概要
一度はなくなりかけた商店を、地域に残したいと願う多くの村人たちによる協力を元に運営を再開した「つねよし百貨店」。
大阪から移住し、新たに経営を担うようになり5年目を迎える東田一馬氏をゲストに、地域で商店機能を維持していく、持続的に運営していくということをテーマに、 参加者も含めて考え、実践していくことにつながる機会になれば、と思います。


「変化」に生きるというテーマをもとに、つねよし百貨店を継業するまでの経緯を、サラリーマン時代の様々な経験とともに紹介していただきました。

地域に暮らす人たちの“つねよし百貨店”

 日本一小さな百貨店として、1987年に33人の住民が出資して“常吉村営百貨店”が誕生しました。「住民による住民のための百貨店」「自分達の問題は自分達で」「みんなが集まる地域の拠点」をコンセプトに、子どもからお年寄りまで気軽に足を運ぶことができる小さな場として、地域の住民に親しまれてきました。
 そんな中、大木前社長が持病で倒れ、村営として密かに有名だった百貨店を2012年に閉めることになり、全国に衝撃を与えました。当時、農水省の取り組みとして田舎で働き隊制度があり、東田さんはその制度の中で京丹後に訪れていました。百貨店閉店の知らせを聞き、村の百貨店は役目を終えたのか?何かこれからも役割があるのではないか?と感じ、妻と子を抱え大きな葛藤の中で、百貨店を継業することを決意します。

経済の合理性を追求した“198円弁当” 

 東田さんは百貨店を継業すると妻子に話を持ちかけると、妻が一週間口を聞いてくれず、息子を連れて実家へ帰省。そんな中自らの食事はスーパーの198円弁当になりました。「米や野菜、肉が入ってこの価格での提供はありえない」「どこかで誰かが無理をしているのではないか?」と、経済の合理性を追求した世の中に対して疑問を抱きます。それをヒントに百貨店の経営を“競合より共存”という地域でしかできないこと、未来に残したいものとし、みんなから支えてもらう経営をしようと考えました。

ツールとしての百貨店

 “地域は百貨店、百貨店は地域”という運命共同体的な存在としての位置付けの“つねよし百貨店”。ただモノを売るだけでなく、地域のみんなをつなぐコミュニティの場となったり、情報共有の場、独特の信頼関係から成り立つ店番交代を行ったり、みんなの百貨店として地域を支え、地域に支えられている存在。配達に行って3時間帰ってこないことはよくあることで、東田さんは「そうやって人と話すことが地域での優位性だと思う。そうすると地域の人が応援してくれるし、情報を与えてくれる」と話します。

身の丈にあったやり方

 百貨店には、商品を買わない子どもやおばあちゃんの姿も多く見られます。「子どもは自然とお店にいい空気を運んできてくれます。おばあちゃんはいるだけで、作った野菜に付加価値が付き、その野菜を購入される人が多いです」と語る東田さん。
 また、「いろいろなお客さんが来るから成立している」と運営する上で多様性の重要性を語りました。今後の自分のお金について心配ないか?という参加者の質問に対し、「なんとかなるんじゃないかな」と数々の大企業を渡り歩いた東田さんならではの、どこか説得力のある回答をされました。現在、妻子とともに身の丈にあった生活で、暮らしよい生活を京丹後でされています。

ワークショップ

 ワークショップでは「個人としてのゴール」「企業人としてのゴール」「人生の3つのフォルダ」という3つのテーマで参加者と交流しました。大学生、会社員、農家、ヘルパー、議員、地域おこし協力隊など、それぞれの立場でテーマについて考え意見を発表しました。
 「地域を1つのプラットフォーム拠点として、みんなでビジネスを作ることが大切」といった今後地域でどのような仕事を創り出すかに視点を当てる意見や、「いかに負荷の少ない生活をするか」「自らの感性を大切に、行動や体験を通して生きる」といったライフスタイル全般における考え方を発表される人もいました。
 東田さんは、子どもの未来をよくすることをゴールとして、これからも百貨店の経営に携わっていかれるようです。等価交換のビジネスをモデルに、“つねよし百貨店”は地域のみんなとともにこれからも歩んでいきます。

記事:吉田健悟(神戸大学大学院農学研究科修士課程/篠山イノベーターズスクール1期生)

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