見出し画像

『塔の上のラプンツェル』考〜ゴーテルは悪か〜

ディズニー映画『塔の上のラプンツェル 』
私も好きな作品で特に「自由への扉」や「輝く未来」などの楽曲が大好き。

ですが見るたびにいつも疑問に思っていたことがあります。
それは、ゴーテルってそんなに悪者?という点です。

確かに王国からプリンセスを誘拐し、その髪に宿る魔法の力を不老不死に使っているけれど、ラプンツェルを18歳まで育て上げてくれたのも彼女だし...。

今日はそんなモヤモヤについて考えていきたいと思います。

無償の愛と有償の愛

ゴーテルとラプンツェルについて考える一つめの視点が愛の種類。

(愛の種類についてはここでも書いたなぁ。)

まず、そもそもゴーテルはラプンツェルを愛しているのかという点についてですが、私は愛していると思います。

だって、約18年間もラプンツェルを育ててきて情が移らないことってある?確かに外には出してくれないけれど、衣食住はもちろん本やギターなんかの娯楽も与えて、貝殻の絵の具など毎年誕生日プレゼントも与えている模様。

もちろんラプンツェルに嫌われたら魔法の髪を使えなくなるから優しくしているところも多少はあると思うけれど、それにしても愛情がないと考えるには優しすぎると思います。塔の中に閉じ込められていたら、そもそも誕生日を祝うという概念すら知らないで育ってもおかしくないから、誕生日を教えなければ毎年自分の誕生日に現れる外の「灯り」に興味を持たなかったかもしれないのに。

そう考えるとゴーテル→ラプンツェルの関係は「有償の愛」なのかなと思います。ラプンツェルに愛情を注ぐ代わりに、魔法の髪のパワーを得るということです。

ここで比較してみたいのがユージーン(フリン・ライダー)とラプンツェルの関係。

この2人も最初は取り引きの関係から始まります。ユージーンが盗んだティアラをラプンツェルから取り戻す代わりに彼女を外に連れて行く。

しかし、2人は次第に惹かれ合い、最後にはユージーンはティアラも自分の命まで投げ打ってラプンツェルを守ろうとするから、ユージーン→ラプンツェルの関係は「無償の愛」と言えると思います。

最終的に窃盗の罪などもすべて許されてラプンツェルと結婚できるところを見るあたり、この物語では、そして現代の社会的価値観として有償の愛よりも無償の愛に価値があると考えられているということでしょう。

だから、有償の愛しか捧げられなかったゴーテルではこの社会では「悪」となるわけです。

所有権と法整備

2つめの視点が法制度について。

ゴーテルが不老不死のために利用していたのは、もともとラプンツェルではなく金色の魔法の花でした。ゴーテルが初めに見つけ、以来ずっと隠し育てていたものです。

しかし、ある日王妃(ラプンツェルの母親)が妊娠中に重い病気にかかり、その金色の花の魔力が必要になります。そのため国家を挙げての捜索が行われ、魔法の花は奪われてしまったのでした。

その魔法の花のパワーを奪い返すべく、魔力を受け継ぎ生まれたラプンツェルをゴーテルは誘拐したというわけです。

では、そもそも金色の魔法の花は誰のものだったのか?

これを考える上では所有権確立の歴史が重要になってきます。

所有権が確立されたのはフランス革命後のフランス人権宣言において所有権(財産の私的利用)が認められたところからと考えられています。(この時は白人男性にのみ権利が認められたので、ゴーテルを含む女性や奴隷などに権利が認められるのはもっと後のことです。)

『塔の上のラプンツェル』の時代背景は、クリエイターが1780年代に設定したと発言した、ラプンツェルらの衣装はルネサンス期のものであるなど諸説ありますが、総合して中世〜近世のフランス革命以前のヨーロッパと考えられると思います。

つまり、所有権は確立されておらず、封建制のもと王や一部の大領主が財産を有し、資本主義的な個人の財産の売買などは行われていなかったということになります。

だから例え魔法の花を育てていたのがゴーテルだったとしても、王にそれを利用する権利があるわけです。

では、もし舞台が現代だったらどうか。

ゴーテルは魔法の花を見つけた時点でその花を、あるいは土地ごと買い取ることができます。その場合、ゴーテルに所有権が発生し、例え国家権力だとしても相応の理由がなければ、それを奪うことはできません。映画のように魔法の花を奪ったら窃盗です。

その場合、安易にゴーテルを悪者扱いすることはできなくなります。初めに罪を犯したのは王たちの方ですから。誘拐は間違っていますが。

現代であれば花を盗まれた時点で、警察に届け、裁判となり、花がゴーテルの手元に戻ってくる... なんて可能性もありますよね。そうしたらラプンツェルは誘拐されません。

こう考えてみると、ゴーテルが「悪」になってしまったのは、時代背景に起因することがあるかもしれないなぁと思うのです。

グリム童話版『ラプンツェル』

ちなみにこう考えたのは、原作となったグリム童話の『ラプンツェル』について知ってからでした。

グリム童話版ではラプンツェルはただの庶民の娘です。ラプンツェルの母親は念願だった子どもを授かりますが体調が悪くなり、隣に住む魔女が育てているラプンツェルという葉物野菜をどうしても食べたくなってしまいます。そこでラプンツェルの父親がこっそり盗みに入るのですが魔女に見つかってしまい、葉物野菜のラプンツェルをあげる代わりに、子どもを預かるという取引をすることになりました。その髪の長い子どもはラプンツェルと名付けられ、魔女に育てられるというお話です。

ちなみに空飛ぶ灯りは登場しませんし、ユージーンのモデルとなっている人物は窃盗ではなく王子様です。全然違いますね。

そして、こちらの魔女は(その後の展開を除けば)合理的だし「悪」とは言えないと私は思うのです。

そもそも最初に罪を犯したのは盗みに入ったラプンツェルの両親であり、その対価として子どもを得るというのは(対価が大きすぎますが)あり得ない話ではないと思うからです。両親も渋々了承していたと思いますし。

やっぱり原作を読んでみるのもなかなか面白い!

ーーーーー

ゴーテルはやはり「悪」なのでしょうか。それとも社会的通念や時代背景も原因しているのでしょうか。

皆さんがもう一度『塔の上のラプンツェル』をみる際に、この記事が新たな視点を提供できていれば嬉しいです!
お読みいただきありがとうございました(^^)



物語の背景を知るって面白い!そんなマガジン「深掘りtimes」を始めました。
第一弾はこちら:



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?