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ダンスの専門学校時代にダブルダッチと出会いプロチームRUN-D-CREWとして12年間…

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ダンスの専門学校時代にダブルダッチと出会いプロチームRUN-D-CREWとして12年間活動。出産の為引退後、子育ての傍らイベント制作会社、舞台制作、保育園、学童、介護施設などで経験を積み、現在は主に縄跳道場のサポートをしつつ、児童館でのダブルダッチ指導など活動の幅を更に拡大中。

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はじめに

今までのこと10代は自由の森学園という校則のない学校で のびのび育ちました。 20代はプロのダブルダッチプレイヤーとして 人前で跳んだりはねたりしていました。 30代は子どもと一緒に新しいことを経験したり 悩んだりしてあっという間にすぎさっていきました。 40代は介護福祉士の資格をとったり 子どもに関わる仕事をしたり 新しいことにチャレンジしたり 40代後半に入り不登校児だった息子が中学に入学し一段落。 これからのこと自分に費やす時間が増え、周りがよく見えるようになり

    • ダブルダッチの技がどのように生まれ、どのように技の名前が付けられたか、という話

      この記事をかくことになったきっかけ最近つながった、ダブルダッチを教えている若い子からこんなことを聞かれました。 スライド、二重(ダブルアンダー)、ハリー、エーメン、ワールド、このあたりの技は、僕がダブルダッチに出会った頃には、もう基礎のものとして先輩から教わる文化になっていました。RUOさんの中の記憶の範囲の中で、このような技が生まれた経緯やその時の発想や着想、また広まり方や歴史について何か述べていただけることがありましたら、ざっくり教えてください。 私たちがダブルダッチ

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