ダブルダッチの技がどのように生まれ、どのように技の名前が付けられたか、という話
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ダブルダッチの技がどのように生まれ、どのように技の名前が付けられたか、という話

RUO

この記事をかくことになったきっかけ

最近つながった、ダブルダッチを教えている若い子からこんなことを聞かれました。

スライド、二重(ダブルアンダー)、ハリー、エーメン、ワールド、このあたりの技は、僕がダブルダッチに出会った頃には、もう基礎のものとして先輩から教わる文化になっていました。RUOさんの中の記憶の範囲の中で、このような技が生まれた経緯やその時の発想や着想、また広まり方や歴史について何か述べていただけることがありましたら、ざっくり教えてください。

私たちがダブルダッチとともに歩んできた道はもはや歴史になっているのだなぁと思い、その歴史を振り返ってみようとお願いされたついでに文章にしてみました。

ざっくりと、と言われていたのに技の生まれた経緯を書こうと考えていたら、ダブルダッチを始めたところから説明しないとうまく伝えられなくてとても長い話になってしましました。

しかもダブルダッチを知らない人が読んだら、なんのこっちゃの話です。
技はどんなものか想像しながら読んでください。

あくまでも私の主観からの話になります。
その時一緒にいたメンバーでも違う捉え方をしている人はもちろんいると思いますし、私の記憶違いのこともあると思います。

ま、それはそれで
昔話のように読んでいただけたら幸いです。

ダブルダッチとの出会い

高校を卒業してダンスの専門学校に通い、毎日朝から晩まで、踊りまくっていた18歳の頃。

私の通っていたダンスの専門学校では、学生のうちからプロの現場に立つことができるオーディションが頻繁にありました。

1年生の私はダンスの経験も実力もなかったので、受けられるオーディションはあまりありませんでした。

そんな中、テレビ番組の企画で

縄跳びができるようになったらテレビに出られる

というちょっと変わったオーディションがありました。

それがダブルダッチとの出会いでした。

ダブルダッチ?
なにそれ?
よくわかんないけどテレビに出られるの?

と安易な気持ちでオーディションを受けることにしました。
資料のビデオを見てこんなことできるようになるの?と思う反面、面白そうでワクワクもしました。

経験者は一人もいない。
頼りの綱は渡されたビデオとロープのみ。

はじめは
縄が回らない、縄に入れない、跳べない

徐々に
回った、入れた、跳べた!

跳べるようになったら
今度は縄を跳びながら何ができるか。
ビデオでやっている技をどうやったらできるか。

それぞれがビデオを見た技を再現したり
新しい技を考えたり
ダンスのステップで跳べるか
などなど、チャレンジして
できないことは教え合ったり

なにしろ、やったことがないし、ビデオ以外では見たこともなかったから新しくやることは全て新技になり何をやっても、みんなが
「おおーっ」
と歓声をあげるのです。

楽しくてしょうがありませんでした。

試行錯誤しながらも、1人1つは得意技を作りみんな意気揚々とオーディションを受けました。

思ったより上手になった人が多かったようで、当初は4〜5人しか受からないはずのオーディションでしたがなんと12人が合格しました。

この12人が日本人初のダブルダッチプロチームと言われているJ-TRAPのはじまりです。

ダブルダッチプロチームとしての活動のはじまり

日本のダブルダッチショーケースの始まりはここがスタートだと思っています。
スポーツとしてダブルダッチをしているチームは他にもいくつかありましたが、ショーをするためにダブルダッチをしていたのはJ-TRAPが日本では一番最初でしょう。

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実は、当初ターナーは固定メンバーでした。
何しろ縄さえ上手く回っていれば上手に跳べるということが分かっていたので、回すのが上手だった2人が専属ターナーとしてみんなを跳ばせてくれることになったのでした。

テレビに出ることが決まっているから、練習、練習の日々になりました。

みんなが一番夢中になったのは早く跳ぶこと。

技の名前を知らなかった私たちは早く跳ぶことを
「ハリー」(hurry upの意)
と呼び始めました。

これは後に、アメリカのチームのメンバーが「スピード」と呼んでいたので、私たちは「ハリー」とは呼ばなくなっていたのですが、その前にどこかに伝わった呼び方が残っていたのでしょうね。

※今は倍速のスピードを「ハリー」「ハリーステップ」3倍速以上のスピードを「スピード」と呼んでいるそうです。

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ちゃんとした記憶はありませんが「ダブルアンダー」(当初は二重と呼んでいた)やターナーを飛び越えて縄に入る「トビバコ」、ターナーの股下から前転で入る、2人の組技などは、ビデオでやっていたのを真似していたと思います。

「3抜け」などはアメリカのチームはしていなかった様に思います。
チームの人数が多かったから、大縄の要領で自然に発生したものだと思います。

チームの分裂が技の発展に

番組のレギュラーとして1年出演した後、仕事の都合で12人のチームが6人ずつのAとBの2チームに分かれることになりました。

これはBチーム↓

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2つのチームは全国津々浦々、健康飲料とダブルダッチを引っさげて全国行脚しました。

ビートロープ01

この時に少しずつダブルダッチの知名度が、上がっていったのではないでしょうか。

1チームの人数が少なくなったことから専属ターナーのシステムがなくなり、チームのメンバー全員が回して跳ぶというスタイルに変化しました。

また、チームが2つに分かれるというのはライバルができるということでした。

これが色々な技が進化するきっかけになったと思います。

技の名前はこんなに適当

このときに、「エーメン」「ワールド」「チャオ」などのロープトリックが次々と誕生しました。

Aチームの男子(メンズ)が考えたロープトリックだから「エーメン」
世界1週回っているみたいだから「ワールド」
ブレイクダンスで有名なチームの足技がすごいカッコいいブレイクダンサーの子、みたいな技ということで彼の名前をとって「チャオ」

後にCHAOには
「君の名前をつけたダブルダッチの技が今でも残っているんだよ」
と伝えました。
全く関係のないダブルダッチ界で自分の名前が技の名前として残ってるなんてとびっくりしていました。

CHAOってこんなすごい人↓

そしてもうひとつ。
私たちがそう呼び始めた時とは技が変化しているのですが「シャー」という技。

今はターナーチェンジとの組み合わせの技をそう呼んでいるようですが、もともとはシャーっと縄を横切って跳ぶ時に

「そこ、縄をシャーと跳んで!」
「シャーして!」

というふうに略して「シャー」と呼ぶようになったのです。

なので技の名前として残っていることを知った時はとっても驚きました。

だって擬音ですよ?

反対に由来を知らいない子たちに話すと
「シャー」ってそういう意味なの!?
と驚く、代表的な技の名前でもありますね。

その他にもなんじゃこりゃというネーミングの技。
例えば、拉致監禁なんて物騒な名前の技や、名前がなく見たままの状態で呼んでいた、クルンはいり(どんな技か想像つくでしょ?)などは、後にHOW TO DVDや教本を作る際に整理し、本に掲載されても恥ずかしくない名前を辞書を引いたりして新たに考えました。

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ここで名付けた技は呼ばれることを意識して作った名前なので、今も使われているのは分かるのですが、何の考えもなしに呼び始めた技の名前が今もそのまま残っているのはなんとも不思議な感じがします。

こんな感じで、技の生まれた経緯などを思いつくまま書き綴って見ましたが、質問をくれた彼へのアンサーになったかな?

【おまけ】12人がそれぞれの道へ

技の話とはそれますが、チーム分けて活動し始めて1年後の話。

2つに分かれたチームは、大人の都合でオーディションがあり再編成されました。

12人中2人が脱退
ひとりはテーマーパークダンサーに
もうひとりはブレイクダンサーに

その後ブレイクダンサーとして活躍した
TOMOの記事↓

オーディションに受かった5人がJ-TRAPとして、歌って踊れて跳べるチームとしてCDデビューしました。

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現在もメンバーは変わっていますがチームとしては残っています。

残った5人はRUN-D-CREWとして決意新たにアメリカの大会を目指し、日本人初出場、初優勝を果たしました。

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2年目の大会では今まで誰もしていなかった、ダンスのように跳びながら音に合わせるデモンストレーションで大会に挑みました。

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この頃は、音楽はBGMのように流すだけで音にはめたデモンストレーションは、アメリカの大会では誰もしていなかったのです。

それが今ではジャパニーズスタイルといわれて日本のダブルダッチのベーシックになっています。

また、笑って手を振って観客にアピールすることを
する人たちもいませんでした。

人前でショーをすることを前提として始めた私たちだからこそ、生まれたパフォーマンスだったと思います。

ダブルダッチの昔話はつきないですが、今回のテーマから外れてきたので、そろそろおしまいにします。

次はどんな話にしようかな。

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RUO
ダンスの専門学校時代にダブルダッチと出会いプロチームRUN-D-CREWとして12年間活動。出産の為引退後、子育ての傍らイベント制作会社、舞台制作、保育園、学童、介護施設などで経験を積み、現在は主に縄跳道場のサポートをしつつ、児童館でのダブルダッチ指導など活動の幅を更に拡大中。