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「痛くない死に方」死ぬと言うことに向き合うことを真摯に考えさせる秀作

高橋伴明監督、4年ぶりの作品は、映画としての力強さを持った秀作に仕上がっていた。日本映画の製作本数に対して、中途半端な感じの作品が多い中、日本の現在の医療の問題点を曝け出しながら、「生きる」ということ「死ぬ」ということを、再度考えさせられた。しかし、こういう、多くの人に観ていただきたい作品に限って、上映館数が少ない。今に始まったことではないが、配給する側の問題なのか?営業が足りないのが原因なのか知らないが、本当に残念な話である。

役者全てが、人間の死というものに向き合っている心が見えるところがいい。主役の柄本佑は、この間、映画版も公開された「心の傷を癒すということ」では、震災で弱ったこころに対峙する医者を好演していたが、ここでも、在宅医療の現場でもがく姿にとても好感が持てた。実のお父さんと同じで、少し不器用そうな感じがとても良い。この映画では義父の奥田瑛二さんと共演しているが、それもいい雰囲気に仕上がっている。芸能家族にあって、家族を感じさせる芝居ができる人ですね。

この映画に限っては、最初の患者を苦しめて死なせてしまったことに悔いながら、次の患者に対しては、一緒に死に向きおうとする、ナイーブな青年医姿を好演。もはや、日本映画の中でこういう役は、みんな彼の元にオファーされてきそうである。そういう流れが日本映画の悪習でもありますけどね。

昔からの高橋伴明映画のファンであれば、患者役が、下元史朗と宇崎竜童というだけで痺れてしまう。下元史朗72歳、宇崎竜童75歳、高橋伴明71歳。同じような時代を生きてきた三人が、彼らも近くなってきた死を描く。まあ、古くから知っている三人が組んだ作品は目指すものも分かり合えるのだろう、やはり力強い。そして、その辺りの人たちも死んでいくような世代であり、それぞれに自分の死を考えている世代なのだろう。そこはこの映画に対しては良い養分になっているようだ。

そういえば、昨年の映画「罪の声」でも、宇崎竜童は学生運動をやっていた犯人の役でしたね。宇崎竜童の生きた時代の心の精算が始まっているような感じなのでしょうか?

最初に死を看取って、多くのことを悔いる、坂井真紀。宇崎の妻役の大谷直子。柄本明とともに行動する看護師の余貴美子。同じ在宅医療医の大西礼芳。皆、適格に観客に向かってくる芝居をしてくる。伴明監督の気持ちが伝わってくる。

とにかく、災害や感染症で、突然の死がやってくる確率も高くなっている日本。そして、高齢化社会の中で、ここで言われるように「臓器だけを見る医者」が病院で看取る習慣が当たり前になっている日本。その中で、こういう試みが存在するということを知らせるだけでも映画にした意味は大きいと思う。

ただ、ネットの評を観ていると、やはり、在宅医療とは、こんな綺麗ですまない現場も多いようだ。そう、介護の現場で家族の意志がしっかりしていないと成立しない話なのだ。奥田が柄本に「家族の物語を見る」ということを言う。そう、全ての運命を当事者たちが物語として取り組めるかと言う部分はあるのだと思う。そう言う意味では、当事者となっていない人がこの映画を作るには限界がある。でも、それは仕方ないことだ。

この映画のスタッフ、キャストが、この重いテーマに真摯に向き合った結果は私に強く「命」の意味を考えさせた。宇崎竜童が死に至るまでよみ続ける「川柳」は観客たちを素直に笑いに誘い、それはこの映画を素敵な映画に仕上げる役目を果たしていた。私も、死が見えてきたら、こんな川柳を残していきたいとさえ思った。

余談だが、宇崎竜童の住む家の住所が「板橋区常盤台」とあった。私の住む街である。それだけで、親近感を覚えてしまった映画でもあった。



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