「姉ちゃんの恋人(第7話)」脚本家が描き伝えたいのは、家族の暖かさ?
先週は、恋人として認め合う話だった。そして、今回は、家族たちへの挨拶で終わってしまった。このドラマ、1話1話の進むペースがことのほかゆっくりである。視聴率を取ろうとすると、さまざまなドラマをぶち込んで複雑系にし、なおかつスピード感というものが求められることが昨今だが、このドラマに関しては、とにかくゆっくりとシンプルな話が続き、それが心地よい。
あくまでも、私の思うところだが、脚本家がこのドラマで描きたいのは、このコロナ禍のなかで、家族の意味を問い直すことなのではないか?だから、今回は一人一人が愛する時に、周囲の家族に挨拶をして、未来に気持ちよく進むということがいかに大切かということを1時間にかけて言われたような回であった。
まずは、有村が、弟たちにはっきりと宣言し、弟は林のところに挨拶に行く。そして、林の保護師の光石研に対し、有村は挨拶にスマフォでテレビ電話で伝える。そう、ただの電話でなく、顔を見せることで、その挨拶の意味を有機化するのに、とても効果的に見えた。おじさんが、バス停の前で一人で泣いているシーンがとても愛情に満ちている。
そして、有村が、林の母が勤めるお弁当屋さんを尋ねるシーン。とても暖かい。二人とも決して金銭的にも恵まれた生活をしているわけではないが、ただ、愛に溢れた中にいる二人が結ばれようとしていることがとても幸せに見える。
そして、その顛末の後に、有村の友人の奈緒と弟の恋物語の告白。そこも、素直にではないが、特に反対することもなく応援に回る有村。そう、周囲のいるはずの家族が色々欠けてはいるが、全てがしあわせのサークルの中に包んでいく暖かい話は、考えれば出来過ぎなのだ。だが、今年の話として作るならこうでなくてはいけないと書かれた脚本なのだと思うのは私だけだろうか?
今朝、BSでヨーロッパ圏のニュースをみていると、感染が全然治らないと、今後の見通しが見えないニュースが多く流されていた。ワクチン問題も、不安材料は多いようだ。そんな中、日本でも感染は収まる状況が見えないまま、暮れの繁忙期に入っている。このところ、会う人会う人、前が見えない不安を抱えている。
今年一年、みんなが家にいることが多くなり、家族という単位を考える時間も増えたはずである。そんな中で、こんなに優しい人ばかりのドラマを書くことの必要性を脚本家は考えたのだと思う。普通にみんなが幸せになれる環境の中だったら、こんな企画自体が通らない気がするのだ。
そんな中、藤木直人の家の問題だけが、まだ明確になっておらず、その中で、小池栄子に「好きだ」と言って今回は終わった。ラストは、林の昔の恋人が出てくるが、次回の予告を見る限りは、まだまだしあわせの未来を目指している温度を感じる。
ラスト近くで、歳越しイベントで、大きな地球儀を作る話が出てくる。多分、そこに持っていって、地球の平和と幸せな未来を祈って終わるドラマなのだろうと、勝手に予測する私だが、そうなることで、なんか今年を笑顔で終わらせることができそうな気もするのだ。そのくらい、今年は最後に寄り添うものがないということなのだとは思う。
暖かく大きなラブストーリーにまとめていただければ、私自身はそれで満足な気がする。
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