「マザーレス・ブルックリン」60年前の空気感のブルックリンに見る愛、そして未来の見えない虚しさ

ドジャースがロサンゼルスに移るというニュースから、時代が読み取れるブルックリンの町。古い映画を見ているような空気感が走る。そして、出演者もその時代に生きるようにクールであり、時代の変わり目を生きている感触。ファーストシーンからどっぷりとニューヨークに観客を誘う映像は、最後まで隙を見せずに、時に美しく、時に陰鬱にあり、時にアクティブ。映画の正攻法と言えるような造りの2時間半である。

観客がその映像を繰っていく感じは、重厚な推理小説を一冊一気に読む感じで、それはそれで、心地よく、なんか懐かしい映画を見ているようにも思えた。古い映画がお好きな方には納得してもらえる一作であろう。

原作は1999年の設定だというから、全ては、脚本、監督、主演のエドワード・ノートンの手の中で映像としてイメージングされたものだろう。そして、彼の主人公のチック症を患っている探偵の演技が秀逸なのもあり、彼のイメージを見事に具現化しながら、ラストの虚しいが、何かが終わり、未来に向かう雰囲気につないでいる。

冒頭で死んでしまう、ブルース・ウィルスは、やはり存在感があるし、ヒロインであるググ・バサ=ローも魅力的で、この役柄にぴったりの女優である。他のキャスティングも皆、それぞれが印象的な演技で映画のピースとしてうまく嵌っている。映画をまとめるには、やはりこの辺りが重要でプロの映画という印象が残る一編だ。

そして、政治が街を変える。その裏には様々な民衆を犠牲にしながら上っ面をよくして、結果的には政治家が利権を掴んでいく流れは、多分昔も今も変わらない。そういう意味で舞台を60年前に戻したことで、現代を風刺するという形をデフォルメしたかったのかもしれない。…まあ、この時代にした方が格好いいシーンが撮れるということかもしれないが…。

オチは、森村誠一の「人間の証明」みたいなもので、金と愛を天秤にかけた結果というところか?そういう話を追う病気の探偵もまた、恩人への愛のために事件を追う。この人の気持ち、愛情のありかの空気がうまく映像として作れていることが、この映画の肥やしになり、それを有機的に膨らませている。全ては、エドワード・ノートンの才能の独壇場と言ってもいい。

そして、その「バックグラウンドに流れるアメリカの音楽、黒人たちの奏でるメロディーが雰囲気を盛り上げる。ググ・バサ=ローは、活動家として描かれるが、彼女を歌手にして歌わせてもよかったのではないか?ステージに立たせても魅力的な女優さんだと思った。

ネットの紹介文にはアメリカン・ノワールとある。その通り、昔はよく作られた暗黒街ものと言ってもいいだろう。世界的にこの種の映画が少なくなっているので、尚更心地よかった。「エクストリーム・ジョブ」のところでも書いたが、日本も新しいアクション映画を作る土壌を作るべきだと思う。そして、岡本喜八監督が作ったような21世紀の暗黒街物も観てみたいし、作ってみたいと思う私である。

映画を見終わった後にスクリーンを後にして、少し格好つけたくなる雰囲気映画である。だが、ラストの海を見る二人には、昔の東映任侠映画のような、先が見えない虚しさがある。私は映画に感じるこういう残り香が好きなような気がする。

映画で彼が何度も繰り返す「IF?」という言葉、世の中にはIFが多すぎて脳味噌の中はガラスの破片だらけなのは、まさに現代その物だと思った次第である。


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