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「マイファミリー(第10話)」事件というものは、些細なことから始まり、自己保身が思わぬ者を不幸にしていく波動の連鎖みたいな…。

先週からネット上でも、犯人はサンドイッチマンだということは言われていて、今回の初めの方から、確かに不審な行動をしているのはわかるし、カメラの追うものの中に彼が隠れていくのもわかるわけで、犯人探しはそんなに難しい展開ではない感じに見せられていた。だが、そうはいっても、動機が見えない。警察官が誘拐などして何の特があるのか?

そして、この事件の発端になる濱田岳の娘の朽ちた姿は、最後まで画面には出てこない。妻は最後に現れたにしろ、この家族だけが、娘が殺され、法的に裁かれ、未来が見えてこない。他の2つの家族が再生への道を辿っていくのに、ちょっと、これは不公平な描き方ではないか?まあ、本当に誘拐を行ったのは、犯人以外には、濱田だけなわけで、そういう意味では、仕方ないということか?最も悲しかった人が、一番悲しいまま終わるというラストは救いがない。

ドラマのゲームをうまく作ってあるのはよくわかる。10回の連続ドラマの中で、視聴者を混乱に陥れた後に、家族の再生を描いてはいる。主人公の二宮や賀来は、それなりに新たな道に進むだろう。だが、会社がそのままだったり、警察も、内部から犯人が出たのに、加害者という立場をとっていないような気がする。最後に、犯人自らの供述がないからなおさらだ。ここで、起こったことでの、本質的な反省みたいなものがドラマの中からは見えてこない。

しかし、犯罪の発端が不倫話だったとは、ちょっと意外ではあった。まあ、犯罪の引火点は些細な間違いからということはあるのだろうが、そんなことから、こんな大事にブローアップしていく現実はあまりにも理不尽だ。考えれば、誰もがカメラマンになれる時代は、誰でもフライデーできる時代なわけだ。つまり、誰でも何かの現場を見つけて、それを撮影すれば当事者になってしまうかもしれないということ。せちがない世の中のせちがないドラマということか?そんな面から見れば、あまりにも後味の悪いドラマだ。

こういうドラマを見て、子供たちが、写真で子供通しで脅迫し合うみたいなことも起こるのではないかとも思ってしまう。デジタル社会は、もはや、今までの常識などどっかに追いやって、新しい刃をいくつも作っている感じもする。だが、このIT会社を率いる主人公には、そういう時代や、自分のやってることの怖さみたいな反省は一つもない感じだ。そこのところも、このドラマが今ひとつ気持ち悪いところだったりする。

しかし、犯人、こんなにデジタルを駆使して誘拐犯ができるなら、もう少し違う頭で、自分の身を守ることはできなかったのか?ある意味、彼が犯人ということから、このドラマは出来上がっているのだろうが、その彼がキャラとしてあまり面白くないのは、脚本が下手すぎる。

そういう意味で言えば、主人公の二宮をはじめ、出てくるキャラに何もシンクロできないまま10回が終わったことは確かだ。松本幸四郎なども、無駄使いにしか見えなかった。日曜劇場として、こういう少しエグいものが作りたいのはわかるが、もう一つ二つ練られた脚本で、キャラクターの自意識みたいなのを明確にしたドラマであったらなと、色々と不満が募る感じの後味ではあった。つまり、現代は複雑だからこそ、皆、シンプルな未来への道筋が見たいのだ。そういう意思が作り手から、見えてこなかったということだろう。

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