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「日曜の夜ぐらいは...(第2話)」続く冴えない日常の中で神は彼女たちに何を与えるか?

先週のバスツアーで買った宝くじが当たる。だから、今回のバスツアーにはくるはずでなかった清野菜名が出発するバスを止めてまで参加する。宝くじの当たった喜びのシーンは画として出てこないが、その瞬間から気持ちが昂揚し、一気にこのラストシーンに繋がったということはよくわかる。当選金は3000万円。3人で山分けで1000万円づつ。彼女たちにとっては年収三年分以上あるのだろう。その金が、ここから彼女たちにどんな未来を与えるかというのがこのドラマのテーマか?金よりも友情みたいな短絡なラストにはならないと思うが、この閉塞した時代に彼女たちはどう変化していくのかは楽しみである。

今回は、この間のツアーの話がラジオで流されるところから。3人は連絡先を交換しなかったが、ラジオを聴いて、その時の一体感は感じてるみたいなところから。そして、彼女たちが抱えている、消えることのない悩みが語られていく。

清野は公園のパンダの置物に語りかけてるところが印象的。彼女の母の和久井映見が車椅子生活になったのは自分がした忘れ物を届けようとして、アパートの階段から落ちたためだとわかる。その前に父親は母親と別れていて、何の力にもならず、清野は高校をやめ、ファミレスで働いてる。パンダにしか笑顔を見せられない人になってしまったのだ。

岸井は、運転していたタクシーに兄が乗り込んでくる。そして、彼女が家族の数に入っていないと罵られ、タクシーも途中で降りてく兄。感情のままに自分で思う方にしか動けないヤンキー的な過去だったのだろう。そんな数年前の過去を消せないでいる現実。

生見は、祖母の宮本信子と住んでいるが、母親が出ていってしまったらしく家にはいない。そして、生見の父親は誰かわからないという辛い話が出てくる。つまり、生見の場合は生まれた時から家族に恵まれず、今にあるという感じ。そして、ちくわぶ工場では、嫌な管理者に文句を言われ続ける。

初回では、3人とも友人がいないという中での出会いが見せられ、彼女たちはそこで、忘れていた笑顔を思い出したという現実がうまく表現されていた。そして、そこから帰ってきた彼女たちはまた元の重い生活の循環の中にいるという今回。ドラマとしては多く起こらないが、彼女たちのその微妙に何も変わらない辛さが、似たような境遇の人々にはどう映るのだろうか?というところ。そう、タイトルにもあるが、日曜の夜くらいは幸せな風景が見たいと思ったりして、テレビを消してしまうという人もいるかもしれない。

でも、先に書いた今回のラストの風景は、日曜の夜に、夢を見せるような空気を作っていた。脚本家は、ある意味、現実をシリアスに見せながらも、今、頑張ってるのに恵まれない人々への応援歌を描こうとしているのではないかと私は期待している。とにかくも、3回目が早く見たいです!

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