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「ミナリ」古典的な家族の物語。おばあちゃんへの敬意で終わるのは韓国的?

韓国語が英語と一緒に飛び交う映画だが、アメリカ映画である。そして、今年のアカデミー賞にノミネートということもあり、初日の映画館は、そこそこお客さんを集めていた。

主役の家族がアメリカンドリームを求めて、韓国から移住してくる。日本人が観れば、これは「北の国から」だな、と思う人は多いと思う。「夢を求めて、夢が敗れる」「家族より事業に心が集中したことで罰を受けるような…」そんな、古典的な映画である。そのシンプルさゆえに、多くの国の人の共感は得られる感じがした。映画の構造としても、とてもしっかりとできている。でも、現在のアカデミー賞候補となるハリウッド映画と考えたら少し物足りない感じ。そんな観たあとの印象だった。

時代は1980年代だというが、あまりその時代性は感じなかった。日本人が知らない移民の話なのだろう。アメリカという場所は、常に新しい希望を持って移住してくる人がいる国だ。それは今も同じだろう。でも、本当に成功の確信を持ってこの地に来る人はほんの一握りなのだろう。ここでの主人公の家族も、3年で農地を開いて生活を変えるというが、その割には計画性がない。そんな、夫に最後に、信頼できないという、妻の言葉はよくわかる。

二人がやっている、ひよこの雌雄判別の仕事というのは、昔からアルバイトとしてよく聞くが、今でも、それなりに生業になるのだろうか?なかなか機械化できない部分ではあるのだろう。しかし、いらないオスが燃される煙が悲しい。ここの主人公の夫ともシンクロしているのだろうか?

あと、水脈を見つけるダウジングをバカにした夫が、最後にダウジングに頼るという部分は、どうなのだろうか?話としては、昔の人が言っていることに従え的なものを感じるが、どうも納得いかない。

そして、この映画のタイトルである「ミナリ」と韓国語で呼ばれるセリの話も、おばあさんの知恵に従えということなのだろう。この映画は、そういう映画なのである。

そして、映画としての面白さは、そのおばあさんと、孫のデビットとのやりとりにある。この描き方も古典的だし、韓国映画的なもの、儒教的なものを感じた。このおばあさんと子供の演技でこの映画は世界が大きく膨らんでいる。そして、韓国人の役者全ての呼吸が見える感じは嫌いではない。

人の心に雑念があると、生活に滞りがおき、自然も人に味方してくれない。あくまでも自然の中で人がどう生きていくかが大事というようなテーマは私に伝わってきた。そういう意味では、優れた映画と言っていいだろう。

今のパンデミックの中では、こういう映画が好まれるのはわかる気がする。人の根本的な絆や希望みたいなものを大切にすることが必要という思いは多くの人の心の中にある。

でも、映画館に来てそういう説教されてもな…と思ったりもするのだ。それなりに長く多くの人に目に触れる作品な気はするが、そうなるということは、人間がこの映画のようなことをリフレインするということでもあるのだろう。そう考えれば「北の国から」はやはり傑作なのか?


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