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「コタキ兄弟の四苦八苦」第八話。五蘊盛苦。肉体も精神も世の中の姿はみんな借りの姿

「コタキ兄弟と四苦八苦」野木亜紀子さんの脚本は、ここんとこ本当に自由である。6話ではタワマンの住民への皮肉と、そこからちゃんとつながっている家族の絆を描き、7話では、植物になりたい汚部屋に住む門脇麦に視聴者を同化させていった。そして、今週は、予告から、兄弟が入れ替わる話だと知り楽しみにして見た。

この脚本、みんなが知っているお話を使いながらうまく重ね、そしてちゃんとタイトルにつなげている。ラスト、ちゃんと「全ての道はローマに通ずる」になっているのは、なかなかである。

つまり、この話「さっちゃんがシャバダバに何故いるかの話」「三河屋にわかめを買わされる話」「兄弟とさっちゃんが流れ星を見て身体が入れ替わる話」「さっちゃんのお父さんが話していた全ての道はローマに通ずる」の4つをうまく組み合わせ、結果的には芳根京子演じるさっちゃんの心の苦悩を見せてる回なわけである。

しかし、わかめのビジュアルは結構残る。「わかめピラフ」「わかめカレー」と、どう考えてもまずいだろう。まあ、わかめサラダとわかめスープはわかるけどね。こういう食材で見ているものの脳細胞を壊すようなのも面白いですよね。でも、「ふえるわかめ」っていう商品名は凄いね!

そして、一応、今回のメインストーリーは身体の入れ替わり。古舘と滝藤の入れ替わり演技は、予想以上に見事だった。普通、このネタはドラマの中でも話されているように、男女が入れ替わるものだ。だから、少しデフォルメした感じでしっくりこなくても許されたりする。あと、滝藤のセリフにあるようにエッチな匂いがする。だから、同性同士だとどうなるのかってあまり見せた作品がなかった気がする。そして、ちゃんとお二人は入れ替わっていた。演出的にも役者に任している部分あるのだろうが、役者さんって、他の役者さんもちゃんと観察できていることがよくわかった回であった。これだけで、この回はみる意味がある。

そして、後半、さっちゃんが男になって、押し売り三河屋を倒そうとする場面。男になっても中途半端な男では、詐欺をするようなずる賢い三河屋は倒せないことがわかる。ここは、なんか「ドラえもん」の一場面を見ているようで面白かった。よく、頼り甲斐のある男とか言いますが、そんなのほとんど偶像に過ぎないということなのかもしれませんな。

最後には、ちゃんと宮藤官九郎に、「さっちゃんはさっちゃんでいいんだ」ということを言わせ、見ている方も納得。そして、子供の時に見たローマが今につながっているという、時をも超えた素敵なお話にしてあるのは、それだけで、この悪ふざけの脚本をプロの作品として成立させているところであるのですね。

しかし、芳根京子も、二人の親父の演技によくついて行っている。かなり勉強になっているのではないか?それこそ、「全ての道はローマに通ずる」という感じで芝居をしているのかもですね。

新型コロナウィルスで、なんか生きるか死ぬかみたいな話が多いですが、みんな、基本のことを忘れずに、笑って楽しく生きていれば免疫力も上がるし、肉体がやられたって精神がやられたって、みんなの魂はずーっと生き続けるんだからと思えばいいんじゃないかなと思いました。そう、私も普通に暮らしましょ!


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