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「彼女と彼氏の明るい未来(第3話)」大人とは、裏切られた青年の姿である

「大人とは、裏切られた青年の姿である」という、太宰治の言葉で締められた3回目。「走れメロス」にある、人を信じるということが、ドラマにシンクロしてくるのだが、そんな高尚なドラマでもないだろう。だが、冒頭での末沢誠也は明らかに心が動揺しているし、関水渚に対して不信感しかない。でも、彼女の寝顔は可愛いみたいな感じ。

そして、学校にボランティアの人が来ると、彼はこの間、関水と会っていた同級生という人だった。彼は、ボランティアは自分のためにやっているという。「誰かにとってのそばにいる人になりたいのかもしれません」とかいう綺麗事を並べる。このシークエンスが、彼のことを何も疑わずに終わるのがもはや見ている方としては怪しい。まあ、今はそうなのろうが、そこに行き着いた中で関水が関わっているのか?

今回は、今までに会ったような過去に戻ってのシーンが出てこない。まあ、VR装置の履歴を見れば、もう十分な回数見ているようだから、もはや、自分の知らない関水渚を見すぎたというところなのだろう。そして、「走れメロス」の話と重ねるように、「ささやかな嘘もショッキングな過去も全部笑い合える日がきっとくる。」とかいうモノローグが入ったりする。

そして、家にあったVR装置のことが関水にバレ、末澤が帰ると関水が泣き崩れる。「気持ち悪かったよね」でも、私は今「あなたが気持ち悪い」と言う関水渚の最後の言葉は、なかなか鋭い言葉である。確かに彼女の過去の姿は真実だったのだろうが、それを詮索したり、のぞきみたいなことをしたりして何の意味があるのか?と言うロジックだ。そう、「今しか真実はない」と言うロジックに立ち返るまで、二人はお互いに気持ち悪いところに放り出されたままだ。

ここで、家から逃げるのは末澤だ。関水の知らない過去を見た方が悪いという論理。まあ、どちらが悪いわけではないが、過去が現在の楽しさを壊すということは、生き方としてはあまり健康的な姿ではない。この時間の逆行みたいな心の勢いをどう止めていくのかというのが、ここからのドラマなのか?というか…。

この辺りの時間の流れの歪みが、「走れメロス」の友人を信じるというところにシンクロしてくるのだが、次回の予告を見ると、過去に戻って、様々な問題が心を襲うような感じである。ある意味、心の震えがここから止まらなくなり、それが収束するまでの話なのか?結構、奥の深い心理劇になってきた。

全く違う話だが、起き抜けの、まだ頭が回ってない中で喋る関水渚の雰囲気がいいよね。あと、店でだるそうにしてる関水もいい。この辺りが関水の小悪魔性演技なのでしょうね。そこは、この娘の女優としての強みだと思います。

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