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「あの頃、文芸坐で」【4】70年代青春映画のヒロインの煌めき

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77年夏である。しかし、これも、ここにあるプログラムを見に行ったものではないようだ。記憶にある二本立てがない。ただ、フィルムフェスティバルのアンコールプログラムには、私の愛する映画たちが並んでいる。今日はその辺りの思い出を…。

まず、最初の雑文には、東映添え物ポルノの話が書いてある。後にピンク映画でご活躍の佐野日出夫監督のデビュー作のお話である。今の若い映画ファンには、日本映画が、映画会社ごとに番組を製作して月1で二本立てのプログラム(日活は月2の三本立て)を提供していたことが理解できない人も多いのかと思う。いわゆる、黄金期から長く続くブロックブッキング制度下の日本映画の製作体制である。その体制に殴り込みをかけてきたのが角川春樹率いる角川映画なのだが、その話はまた後日。

ここで話に出る東映という会社は東京の、銀座、新宿、渋谷などの主要繁華街にメイン館を持ちながらも、郊外や地方にも多くの直営館を持っていた。そういうところでは、東京では公開されないような、添え物映画が封切られることがあったのだ。ビジネス的にそれがどういう意味があったのかはよくわからないが、東映は古くは第二東映という、新たな封切りチェーンを増やしたこともあるわけで、結構、いろんな映画のビジネスを試すことがある。この年の12月には「東映セントラルフィルム」という別製作会社を作ったりもしている。そういう意味では、東映ポルノというのは、別枠で製作配給されたものも多く、そこまで把握して今、話せる人は少ないと思う。そういう意味では、この文章は、貴重だということかもしれない。

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プログラムを見てみよう。「地上最強のカラテPART2」「世界の空軍」こういう、好きな人は好きというプログラムは客がそこそこ入ったのだと思う。そして、毎年、観客のリクエストで開催された「フィルムフェスティバル」のアンコールである。こういう日替わり企画を追いかけるのも、文芸坐の醍醐味ではあった。私的には、今では、時間も体力も足りない感じではあるが…。あとは、小林正樹監督の二本立て。最近は、あまり注視されない監督な感じもする。そして、「人間の條件」と「東京裁判」しか見ることができない気もするのでもったいないと思う。この辺りの監督作品を満遍なく見ることのできる日本映画だけのサブスクの登場を待っているのですが、やるところありませんかね?

そして洋画は、三島由紀夫原作の「午後の曳航」と黒澤明監督の「デルス・ウザーラ」で「世界の日本人」。そう、最近は、日本の文学の外国での映画化などはあまりありませんね。そういう意味で、三島という作家はグローバルだったんです。「大地震」「JAWS」は当時、パニック映画とされていましたね。そして怪奇オカルト特集、「エクソシスト」のヒット以降、こういう映画がどんどん輸入されてきたという印象です。

オールナイトは、安定の松本清張原作もの。ここにある8本のうち、野村芳太郎監督のものが三作。松本清張原作というのは、それだけで映画館に人を入れる力があったのですが、昨今はあまり語られませんな。テレビでのリメイクはいまだありますが、映画となるともう未来的にはないのでしょうか?

そして、Rock in Filmという題名での4本立て。最近も爆音上映などというものがありますが、オールナイトで四本立てでのこういう企画も復活させて欲しいですよね。現在のウィルス問題も含め、より難しくなっている感じはしますけどね。

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今回、ここで語っておきたいのは、70年代青春映画の中でのヒロイン像であります。まずは「夏の妹」(大島渚監督)と「放課後」(森谷司郎監督)のヒロインである、栗田ひろみ。八重歯が印象的な娘だった。私にとっては年上だから、憧れのアイドルというところだろう。歌がめちゃくちゃ下手くそだったことで覚えている方も多いと思う。ただ、この二本の映画を見れば、彼女がただならぬ印象の娘であったことは今でもわかるはずだ・ただ、「夏の妹」沖縄について描いた政治臭がして、最後はよく理解できない展開の大島節なので映画としては?というところだし、ATGの映画らしい映画でもある。印象的なのは、彼女と石橋正次が「シルバー仮面」の歌を歌っているところである。そこと、栗田の顔がすごく印象的な映画だ。

もう一本の「放課後」は栗田の代表作と言ってもいい。ただ、当時の批評を見るとあまり好意的なものがない。ただ、私はこの映画が大好きである。舞台が、小学生の頃住んでいた近くの豪徳寺界隈であることも重要な点である。今は小田急線も高架になって姿を変えてしまった街の当時の姿が残されている映像は貴重だ。そして、栗田ひろみの自然な雰囲気を紡ぐような映像は、本当に美しいし、ラスト、夕立の中で過去を洗い流すようなシーンは何度見ても良い。そして、主題歌は井上陽水の「いつのまにか少女は」である。70年代の青春像が焼き付けられた1作である。そして、栗田の眼力はすこぶる印象的である。

「青春の蹉跌」と「赤い鳥逃げた?」は桃井かおりという女優の出発点と言っていいだろう。そう、それまでになかった、70年代の若者像が演じられる女優だったと言っていい。この二本の映画に、前回書いた、長谷川和彦が関わってる(赤い鳥〜は助監督である)のも偶然ではない気がする。そう、ベクトル自体が明確でないヒロインは新しかった。それは、「前略おふくろ様」の海ちゃんにも通じて、桃井かおりは私たち世代にとってやはり重要なヤバイアイコンであったということだと思う。

あと、一人「阿寒に果つ」の五十嵐淳子も私にとっては重要なヒロインだ。もともと、東映の「ずべ公番長」のいろどりに出てたような人だったが、テレビの「ベスト30歌謡曲」などでアイドル的になっていた後、この映画でヌードを披露。そのスレンダーな謎めいた少女はスクリーンの中で私にはとても印象的に刻まれた。映画自体は、大した完成度ではないが、五十嵐の存在だけで今に残っているような映画である。一緒に上映している「凍河」が最後の主演作と思うが、私的にはあまり印象には残っていない。でも、「阿寒に果つ」という映画は、私の思春期にあっての重要な映画の一本になっているということである。

70年代初頭、学生運動の嵐が終わり、連合赤軍の事件があり、世の中の映画は一気に破滅感をラストに漂わせるようなものが多くなって行った。そんな時代に漂流したようなヒロインたちは独特の閃光を放っていた気がするのだ。そんな映像の中に、未来というか、熱いモヤモヤした何かを見ていた時代であったことは確かである。文芸地下のスクリーンで、そんなヒロインたちに恋していた日がとても懐かしい!

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