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「アイのない恋人たち(第3話)」今時のリアルな恋愛感を妄想して作っているような流れ?

今時、「E.T.」とか「タイタニック」とかのネタはどうなのだろう。前者は1982年の映画で後者は1997年の映画である。後者も27年前の映画なのである。ビデオで古いものが簡単に見られる今日この頃だが、ここの主人公たちの年代のインスピレーションにそれが浮かぶのか?という問題がある。もう少し新しい映画で、今はそうなのね!というものが欲しい気もする。まあ、書いている遊川和彦は60代後半だから、そうなるのだろうが、こういう大事な場面は時代のフラグをちゃんと立てた方がいいと思うし、そうしないと視聴率には結びつかないだろう。

そして、3回目にして、三組の恋愛がそれぞれに動き出している。そこで、好きで一緒になりたいと突っ走った、前田公輝と深川麻衣が、最後に結婚しようと言い合って、ホテルに積極的に向かう仲になってしまった。まあ、年齢はいってても、こういう幼い結びつき方もあるという二人なのか?合コンで出会った二人だし、どちらかというとお見合いして燃え上がった感じなのかな。だいたい、深川の恋心がなんか段階踏んでるみたいなのは、少し気持ち悪い。というか、深川、ちょっと前に「彼女たちの犯罪」で少し大人っぽく医師に不倫するキャリアウーマンを演じていたが、今度の役はまた幼い役になってる。両方できるのはたいしたものなのだが、前田とともにこの幼い感じは少し気持ち悪さを感じる。だいたい、前田も警察官らしくないし、交番勤務とはいえ、時間には不規則で、そんなにデートに現を抜かす職業ではないのでは?遊川さん、脚本家以外の職業、ちゃんと意識してる?

そして、成海璃子と本郷奏多も、付き合うことにしたといっても、成海にもよくわかっていない、本郷の良さがわからない。ある意味、ほかの二人と差異をつけるために、この性格になっているのだろうが、男女関係をそんな大切なことと思っていない本多をそういうことに前向きにするところで、成海が力尽き果ててしまうのではないか?

で、流れで、岡崎紗絵とずっと連絡とってる福士蒼汰だが、彼が肉体関係なしに岡崎に付き合う意味がよくわからない。確かに彼女が「書ける」といったから連ドラの脚本は書けたのだろうが、それがどんなストーリーかも開示されないのは何故なのだろうか?その世界は、脚本家が一番よく知ってる世界なのにね。

で、ある意味、常識的でなくて、フェロモン的なもので、岡崎は福祉が気になってる流れなのかもしれないが、その辺りの恋のオーラがよく見えてこない。で、最初に書いた、映画のパロディーみたいにしちゃうのは、二人のテレみたいなものもあるのだろうが、印象的には弱い。だから、ラストの岡崎のバックハグが効く感じなのかもしれないが、先行きは不明。そして、佐々木希をどう使って行くのかも、わかりにくいよね。

結構、正攻法の恋物語だが、脚本家はいかにドラマチックでないリアルなものにしようとしているのかもしれない。そうすると、これ以上あまり面白くなっていかない気もしますね。3回目までの初動はちょっと失敗な感じがしました。

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