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「サンドラの小さな家」かなり悲惨なエンディングと未来への希望の見せ方

アイルランドとイギリスの合作。監督は「マンマ・ミーア」のフィリダ・ロイド。企画、脚本、主演がクレア・ダンということで、彼女の描きたかった世界を、監督がアシストして形にした映画なのだろう。

話はシンプルだ。DVにあっていた主人公が娘2人を連れて家を出て住むところを探すが、なかなかうまくいかず、結果、ネットで見た自分で家を作る話に触発され実現に向かわせる話だ。主演の気持ちの揺らぎを追う形で映画は進み、周囲の人々の暖かさの描き方は、日本映画によくあるタイプでもある。

ファーストシーンは、DVの実行シーンから始まる。かなりセンセーショナルな問題定義だ。とても、テーマを真正面から描いているという感じ。そして、女が一人で子供2人と暮らしていくということの難しさを描いていく。この辺りは、世界各国同じような状況なのか?本当に、どこも、難民とかの面倒を率先してできる状況でもないのはよくわかる。日本人がみても共感できるところが多いのではないか?私は21世紀は人間の尊厳の見直しの時代ということなのだろうと思っている。ここで、人間はもっと賢くなるべきだと思わせる作品だ。

作り手の視線もそんなところにあるのかもしれない。だからこそ、家を自分で作るという、少し無謀な計画に、清掃仕事の雇い主に土地を貸してもらうところから、どちらかというと良い人たちが集まってくる。特に悪役が出てこないのは、悪役は夫だけでいいということなのかもしれない。

家を作ることを決めて、日本でいうホームセンターのようなところに行って、自分が何も知らないことを知るシーンもわかりやすい。そこで、助言してくれる人に出会う。この辺の導線も特に変わったものではないが綺麗だ。

そして、家作りが始まれば、映像の中にワクワク感と苦労がしっかり出ている。嵐の中で家を護ろうとする主人公のシーンなどもお決まりのシーンのような気もするが家に対する気持ちの重さが良くわかる。

それとともに、二人の子供たちをしっかり描いているのが観客に共感を与える肝になっている。DVの現場をみてしまった子供はどうなるか?子供たちは世界中でさまざまな困難の中にあるとここで訴えている感じがした。

夫の徹底的な自分本位の考え方の表現の仕方もさらりと描いているがよくわかる。何故に夫がこういう人間になったかということの種明かしもラストに出てくる。問題が起こった理由の考察がされているのは重要なことだ。

そんな中で、最後は法廷シーンで親権を争うことと、家のできた喜びで盛り上がって終わりかと思ったが、作り手はそれでは面白くないと思ったのだろうし、本当の問題定義は最後の最後にあった。そこはネタバレできないが、それが、なんかデジャヴーな感じがしたのは、最近観た「ミナリ」の終わり方に似ていたからだ。

心の持ち方で未来は変えられる。自分の心に率直になって嘘をつかないことだ。それは、昔から映画で何度も問われたことかもしれない。この映画は、観客が最後に、この主人公と子供たちの未来を祈ることができる作品に仕上がっていることに価値があるのだろう。なかなかの佳作であった。


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