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「笑うマトリョーシカ(第3話)」高岡早紀は何者?マトリョーシカの中身が色々こぼれ出てきて・・。

櫻井の恋人だった田辺桃子が殺人の関与しているのではないかという話からの続き。結局、今回の最後も櫻井は水川あさみに「会わないほうがいい」ということを言ってくる。その言葉の向こうに何があるのか、まだ全く見えてこない感じがドラマ的には面白いところなのだろう。

とはいえ、櫻井が誰かに操られているという前提でドラマが進んでいるので、一番、視聴率を弾き出しそうな櫻井自身の出番があまりないのは、ドラマとしての派手さを消している。水川中心に動いても、とてもドラマの画が地味なのだ。そういう意味で、もう一つ見ていて盛り上がりに欠ける感じがする。

今回は、田辺のことを追ううちに、彼女がシナリオライター志望で、コンテストに出した作品「最後に笑うマトリョーシカ」というシナリオがあることがわかる。ここでもう、タイトルの説明のような話が出てくるわけだが、やっぱり、マトリョーシカの最後に残る人形は誰なのかというのが、このドラマの見どころらしい。そして、今回の最後には、そのシナリオが出てきて、そこにはハヌッセンの名が出てくる。つまり、やはり誰かが櫻井を操ってるという仮説は本当なのか?そして、そのシナリオに記された名前は田辺のものではなかった。というか、そんなところに事件の真相を書くとも思えないし、また、次の人形の蓋を開ける感じの状態になった。

そして、櫻井が議員になる前に殺された小木茂光の秘書であった、国広富之にも会って話をすることができる。そして、玉山はそんな殺人をできる人間ではないし、国広が櫻井の秘書にならなかったのは櫻井の意向だということもわかる。そういう流れを櫻井自身が作ったとも考えられるが、色々しっくりこないことが多いのがよくわかってくる。見ている方としては少しまどろっこしい感じなのが、いまいちだが・・。

そして、その国広と偶然会ったところで、子供の世話がちゃんと焼けない母親の姿をシンクロさせていくのは、ドラマ的にスッキリしない。新聞記者と家庭は両立できない的なことを描いてそれが何の意味があるのか?この辺りもよくわからない点だったりする。だいたい、文芸部の記者がこういう事件に頭突っ込んでく感じが、ドラマ的に意味があるのかどうかということから疑問を多く感じるのだが・・・。

で、次回はもう少し、田辺桃子のことを突き詰めていくのだろうが、こういう役柄なら、田辺ではちょっといかがわしさが足りない気もする。そういう意味で、最後に出てきた高岡早紀=田辺桃子でもおかしくない気がするのだが、それでは年齢的は合わないですよね。まあ、高岡もマトリョーシカの人形の一つにも思えるが、・・。展開が混沌としてきてるのはわかるが、もう少しサスペンス要素が強い感じにして欲しいのは私だけだろうか?」


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