「あの頃、文芸坐で」【14】山中貞雄との出会い、時代劇の楽しみ。野村芳太郎「砂の器」の完成度。
大学生活のつまらなさにも気づいてきた6月。このプログラムは2枚持っていた。映画を観ることに加速がかかってきた頃である。自由に映画を観ることができることは本当に楽しかった思いがある。ここでは、プログラムにはないが「浪人街」(マキノ雅弘監督)「丹下左膳余話・百万両の壺」(山中貞雄監督)。そして、野村芳太郎フェアで「砂の器」と「ゼロの焦点」を観賞。本格的に映画の勉強を開始という感じでしたのかね?
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コラムは、稲垣浩監督の訃報のお話。調べると、この年、5月21日に、亡くなられているのですね。74歳。今考えると若いなと思います。三船敏郎版の「宮本武蔵」「無法松の一生」「風林火山」などが今に残りますが、障害児を描いた「手をつなぐ子等」が私には印象的な一本です。三船敏郎も黒澤明作品以外ではあまり振り向かれなくなった今日この頃ですが、シネコンで特集やってもいいと思うんですけどね。ニューノーマルの中では、そういうシネコンの形も作って欲しいと思います。新作のついでに名作一本観ることができるような映画館ということです。
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文芸坐では、アラン・レネのフランス映画「プロビデンス」や西ドイツ映画「マリア・ブラウンの結婚」などがかかっているのが嬉しい。ハリウッド映画の比重が多くなるシネコンでも、常にヨーロッパ映画を二本くらいかかってくれていると嬉しいと思う。特に、これからのニューノーマルにおいては、各国の状況を理解するために映画はとても重要なコンテンツになると思うからだ。配給会社のみなさま、売れるものと観せたいもの、両方お願いします。
文芸地下は「わるいやつら」への前奏曲、野村芳太郎フェア。野村監督は1919年生まれだから、この年まだ61歳。後で書く「砂の器」を撮ったのは1974年だから、55歳の時、まさに脂の乗り切った時に、あの名作ができてるんですな。この数年後に、一度監督にお会いしてお話伺ったことがありましたが、本当に温和な方という印象でした。もちろん、現場では違う顔を持っていたのでしょうが…。
オールナイトの「日本監督大事典」は小林正樹。ここでもかかっている「人間の條件」は当時、丸の内ピカデリーでのオールナイトが名物のように行われていましたね。ここでも、特別料金取っていますが松竹としても特別なフィルムだったのです。そして、泉谷しげるのコンサート!「仁義の墓場」の上映とのコラボというのは面白い。コンサートが行いにくい中、200人キャパの会場に100人入れてやるというのはありだと思います。映画とのコラボもあり。シネコン運営で考えてみませんか?感染防止をどうするかはアイデア次第ですよ!
ル・ピリエで「激突!」と「続・激突!カージャック」やってるのは、上映すれば客を呼べたということですかね。久々に映画館で観たい作品ではありますね。
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そして、この時鑑賞した映画「浪人街」と「丹下左膳余話・百万両の壺」。マキノ監督の時代劇を映画館で見たのは、この時が初めてだと思うが、ここで見たのは1957年の近衛十四郎のリメイク版だったと思う。なんとなく画は覚えているのだが、内容は記憶にない。それは、もう一本の「丹下左膳〜」も面白さが抜群だったからだろうと思う。山中貞雄という天才監督にここで初めて遭遇する。名前だけは知っていたし、今、三本のフィルムしか残っていないことでも有名な監督だが、このフィルムは何度見ても痛快な映画である。そして、他のどの丹下左膳よりも面白いし、とにかく勢いがある痛快娯楽映画として成立している。1935年、26歳で撮った傑作だ。多分、リメイクしてもこれより面白くできないだろうと感じる一本であり、日本映画史的にも貴重な一本である。この天才、28歳で太平洋戦争に突入前に戦地で赤痢で亡くなっている。そういう限定的な環境下でもこれだけの傑作を残せると考えると、ニューノーマルだとかアフターコロナだとか言っている前にまずは傑作を作れ!ということだと思うのである。
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そして、野村芳太郎フェアでみた「ゼロの焦点」と「砂の器」だ。推理小説がお好きで、松本清張原作といえば野村芳太郎という感じではあるが、「ゼロの焦点」はそれほどの映画ではないと私は思う。ただ、久我美子、高千穂ひずる、有馬稲子という女優の共演は豪華だし、松竹らしく印象に残った。
この日は、そちらよりも「砂の器」の初見の日である。公開当時、私は中学生だったが、友人からおもしろかったと聞いたまま、この日に至っていた。言うまでもなく、主題曲が見事に映画にシンクロし、まさに人の運命の厳しさ、はかなさみたいなものを感じる大作である。バックグラウンドにハンセン氏病があるので、テレビでリメイクする際はいろいろと変えないといけないみたいな世の中ではあるが、この映画以上のものはできてこないだろうし、これで十分である。ここでの加藤嘉みたいな演技できる役者、今いませんものね。
野村芳太郎監督というのは、フィルモグラフィを見ると、娯楽映画ならなんでも撮れるということがわかる。歌謡映画から、お笑い映画、青春喜劇のような物や、メロドラマも撮っている。松竹的な映画をなんでも引き受けていた一人であり、器用な人という印象である。ただ、晩年は推理ものが多く、それが彼のイメージになってしまったのはどうなのだろうという感じもする。結果的には野村芳太郎という名前よりも「砂の器」が映画史の中にある感じだ。弟子という位置にある山田洋次が長生きしてるのと、渥美清のおかげで巨匠面しているのは、大きな間違いだ。全ては日本の芸能マスコミが悪いのだが…。
そして、次回は、次のプログラムにある「天使の欲望」と「女高生 天使のはらわた」に関してです!
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