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「笑うマトリョーシカ(第4話)」人を追うことが中心になり、活劇性がないのが気になる

つまり、キーとなるのが、玉山鉄二から、櫻井翔の恋人であった田辺桃子に移るが、そのことにより、水川あさみが新聞社を辞めて、事件を追う形になる。そして、丸山智己までも新聞社を辞めてしまう。いわゆる、アンタッチャブルに迫るには新聞社にいたら何もできないということ。これは今の新聞社のあり方を弄ってるのは事実だが、そういう流れにしかならないのは情けないとしか言えない。つまり、新聞社などというものは、体制の権力に押さえつけられてるだけの、虚構新聞だということをドラマで明確にしてしまってるのだ。

そして、水川あさみが、櫻井や田辺の過去を追って訪ね歩くシーンは、とても退屈だったりするのが、たまらなくこのドラマをつまらなくしている。いわゆる、画で見せずに言葉で過去の事象を説明していくような形は、ドラマにしたときに絶対にやってはならない一つだ。こういうのは小説そのものであり、ドラマにする意味がない。そして、水川という女優はそれなりに演技力はあるものの、やはり、華がないわけである。そういう華のない女優の主演というところに無理があるのに、その動きも地味な感じではドラマは盛り上がらない。そして、回想の中で出てくる食事のシーンの田辺の態度みたいな方が面白いのもダメなのである。

田辺の使っていたペンネームが、いじめられっ子の名前だったりするのも、なんだかネガティブイメージだし、彼女の残した「最後に笑うマトリョーシカ」というシナリオも、出来はイマイチだということで、話のネタとして盛り上がらない。そう、この脚本が傑作で勝手にドラマとして作る方向になるとか、そういう方が面白いでしょ。

まあ、最初から出てくる謎の女の高岡早紀が、櫻井の母親だったという情報は面白かったが、それが何故に水川の前に現れる。それは、かなり恣意的なものなわけだが、そのあたりのサスペンス感の出し方ももう一つ下手な感じがする。その辺りは、櫻井のもう一人の同級生、渡辺大が関わってるのはわかるのだが、その筋のモヤモヤが見ていて気持ち悪い。

そう、過去の死に対する謎というのは面白いし、そんな中で櫻井がどういう位置にいるのかがわからないというのも面白いが、操ってる方の闇の姿も一緒に見せるようなやり方の方がサスペンス感が出るのではないだろうか?

とにかくも、水川あさみの地味さと、脚本の構造の下手くそさが、今ひとつ私をドラマに集中させてくれないようなところがあって、ドラマ自体がやぼったいというとこだ。

とはいえ、櫻井がどう操られてるかは気になるところで、ドラマの先は見るしかないというところなのですよね・・・。



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