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「君が獣になる前に(第7話)」何回でも終わらせてしまいたいのが今の日本ということか?

北山宏光と深水元基が、高橋光臣と玉城ティナがいるところをつきとめて駆けつける。玉城は高橋を殺そうとしている感じだが、結果的には、高橋が自分から命を落とす。そして、次の日、その時間にテロは起こらない。

ほぼ、これでエンドマークを出してもそれで事は解決した感じにはなるが、自由になったベッキーが玉城に毒ガスの鞄を置いて去る。そして、それをふりまきに地下道に現れる玉城。そこには、北山も鳴海唯もいた。そして、玉木も含め三人は朽ちる。ということで、エンドマークではなかった。まだドラマは7回目だものな。ここからもう一度三人は過去に戻ってから、ドラマはまとめられるようだ。結果的に、今の世の中に、今の日本の薄汚れた感じの中に何を問おうというのだろうか?大事なところはそこだろう。

オウム真理教のサリン事件が起こったのが1995年。もう29年も前の話なのだ。20代までの日本人の若者は、その異様な事件の感覚を知らない。考えればそこから、駅や街の中からゴミ箱が消えたのだ。いまだにそんな状況を私は不便だと感じる。

だが、本当に、テロに対して予防できてるのか?というとそんなことはないと思う。このドラマのように、鞄の中にガスを詰めて、振り撒くことは可能だろうし、その実行を止められる予防措置はどこにもないと言っていい。そう、日本人はいまだに無防備だ。これを戦争を知らないからだというが、誰かがドローンを使ってそれを散布するようなことを考えたらどうだろうか?もちろん、ドローンを飛ばす規制の法律はある、だが、テロリストにはそんなの関係ないのである。とにかく、軍備を増強しても、テロに対応できる世の中ではない。そして、ここにあるように玉城ティナみたいな娘がテロを実行することもできる世の中であることを忘れてはならない。

あと、ここで表現される、高級買春ね。こういうことは、実際に行われているだろうし、大久保公園の立ちんぼが一掃できないところを見ても、日本は今だ娼婦天国なのだ。そして、AVに出演してしまうような娘からおばさんたちまで、知らない男とSEXをすることで金をもらうことが普通にできてしまうわけで、もはや、警察も取り締まってるのが時間の無駄みたいなところもある。ある意味、お互いに同意の上なら、それが恋なのか仕事なのかなど裁判しても無駄な話だしね。そして、日本のビッチたちは、円高のため、結構、海外に出張していることもよく聞く話。どうしたものか?

そのくらい腐りきった日本であるからこそ、北山みたいな正義感が必要なのだが、このドラマ、どこに着地点を見出そうというのか、わからなくなってきたが、まあ、興味深いということには変わりはない。とにかく、続きを見ましょう!


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