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「最愛(第9話)」犯人は誰か?そこに視聴者を集中させる連続ドラマ的構造

ボールペンの件から、薬師丸ひろ子が殺人の犯人として浮上するも、そんな単純な構造ではない気がする。そして、この回に15年前の話が出てこなかったのは、それがやはりそこがトリガーということなのか?ラストの岡山天音の一言で、松下洸平にも何か秘密があることが見えてくる。連続ドラマとは、その回毎に。次に引っ張る何かを提示しながら、常に視聴者を引っ張っていく構造を取る必要性がある。だから、それは2時間の映画に中にあるような起承転結ではない。一回ごとに精密に作られてこそ、作品の個性が出てくるようなものである。そういう点では、今期のドラマでは、この作品は最もテレビドラマ的展開にこだわって作られているように見える。次週が最終回という前に薬師丸ひろ子が犯人というふうに扱われてはいるが、この裏に大きな何かが隠れていると思えるからこそ、最終回につながるわけである。その上、及川光博の事故で、血がついたままに警察に連れていかれる吉高由里子。ラストへの布石はなかなかセンセーショナルである。

しかし、薬師丸ひろ子、社長役というのも初めてな感じがするし、謝罪する薬師丸も初めて見る気がする。つまり、こういう芝居をするのは初めてではないか?思えば「Wの悲劇」で犯人の代役的なことを演じた彼女が、大きく時を超えて、犯人役?になっているのだ。その「Wの悲劇」で薬師丸に自分の替え玉を頼んだ役の三田佳子が当時43歳。今の薬師丸が57歳。ちょっと、調べてみて驚いたのは、当時の三田が思った以上に若かったことだ。そして、今の薬師丸は、そこから10以上、上だということ。そう考えれば、こういう役ができて当たり前なのだが、なんか彼女がこういう役をやることに不思議な感覚があった。まあ、三田佳子の使われ方みたいなことを薬師丸に求める時代なのだろう。そう考えると、薬師丸ひろ子、今の日本のエンタメ界にあって重要な一人である。

このドラマが始まった時にも書いたが、吉高由里子の芝居は、今までで最も振り幅が大きく、彼女だからできるという世界を構築していると思える。表情の多様さで視聴者を飲み込んでくる感じは、今までなら、何か不思議な妖艶さみたいなものでくくられてきた気がするが、ここでは、女というものを、社会の中で強く夢を追いそして圧力をかけられる人間を、かなりしっかり演じている。彼女の最高の演技と言って間違いないだろう。

そんな、彼女がどんな「最愛」というタイトルにふさわしい最終回が見られるか、一週間待ちきれない感じですね。

※ そう、「Wの悲劇」といえば、昨日の「カムカムエブリヴァディ」の世良公則さん、まさか、朝ドラで歌うとは、格好良かったですね。世良さんと薬師丸さんの再度の共演も見てみたいですね。

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