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「あの頃、文芸坐で」【28】大藪春彦、鈴木清順、宍戸錠。「野獣の青春」「探偵事務所23くたばれ悪党ども」

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1980年、文芸坐に行ったのはこのプログラムをもらった日、12/7が最後だったようだ。この年がどういう年だったか?というと、政局は大平内閣。自動車生産台数が世界一になった年だったそうだ。そして、日本が出場しなかったモスクワオリンピック開催。竹の子族、ルービックキューブ、漫才ブーム、山口百恵引退。そう、まだまだ元気だった日本という感じであるし、記憶に残ることが多い。そんな中で、映画を観ているということは、私が単なるネクラと言われていたのは確かである。

そしてこの日は、「大藪晴彦和製ハードボイルドの世界」という特集から、鈴木清順監督、宍戸錠主演の二本「野獣の青春」と「探偵事務所23くたばれ悪党ども」を観た。まあ、面白かった!という感想だったと思う。

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コラムはベルイマン監督「処女の泉」のニュープリントロードショーの話と料金を配給会社が指定してくる話、そして値上げの話。ある意味、映画興行の維持のために値上げは当たり前の時代でしたね。そして、この後、ビデオの時代になり名画座の立場がどんどん追いやられていったというわけです。まだ、デジタルで映画を上映するなど、夢また夢だった時代「ニュープリント」という広告文句があったのです。そういうことも知らない映画ファンが多くなってきた昨今ですね。

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プログラムは、文芸坐は大晦日まで「カーテンコール'80」。そして、文芸地下は「大藪晴彦特集」の後に「むかし懐かしテレビ映画のヒーローたち ハリマオ伝説」と称してテレビで放送された少年映画を中心に上映。先にも書いた通り、まだビデオが世の中を動かしていなかった時代。もちろんBS,CSなどもなく、こういう昔のテレビ映画を再度観られる機会がほぼなかったのです。そういう意味では、この特集、すごく画期的だったんですよね。

そして、当時12月はじめは、正月映画との切り替え時期で、なかなか映画館の番組が組みにくい時期で名画座も客が入りにくい時期であったので、こういう番組を持ってきたのでしょうね。

オールナイト「日本監督大事典」は、佐藤肇という名がありますが、東映の監督なのに、代表作は松竹の「吸血鬼ゴケミドロ」。この映画なかなか面白く、地球が宇宙人の手に渡る怖い話です。調べるとこの人「未来少年コナン」の劇場再編集版も絡んでいるんですね。佐々木康は、清水宏の助監督から始めた松竹出身の監督。戦後の劇映画第一作、「そよかぜ」を撮った人です。あの「リンゴの唄」が主題歌の映画です。高峰三枝子の歌謡映画などを撮っていた人で、途中、東映に移籍してここにあるような時代劇を撮っていたのですね。私的には松竹の人の印象ですね。

そして、新東宝の才人と描かれている志村敏夫監督。なんと言っても、前田通子主演の二作「海女の戦慄」「女真珠王の復讐」は話は陳腐ですが今の人が観ても、前田の裸体にやられる佳作。ただエロい。これらが大蔵新東宝のエログロ路線を決定づけた作品でもあったわけですね。この二本、私は映画館で観たことはないので再度、観たい気はします。

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そして、この日は鈴木清順監督の大藪春彦原作作品の二本立て。宍戸錠が本当に良い二本です。多分、この時観たフィルムは「くたばれ悪党ども」は16mmのニュープリントだったと思います。「野獣の青春」に関しては、退色した赤いフィルム。そういうことで、冒頭のモノクロの中の花の色だけ浮き立たせたような色マジックはよくわからなかった。この辺りは、ビデオの時代になり、再度確認した次第です。

「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」は、痛快探偵コメディ。ギャングとの撃ち合いも派手で、清順監督にしたら、かなり正攻法なアクション映画。宍戸錠が撃つは踊るはの大活躍。探偵の部下の初井言栄と土方弘も良いチームプレイ。そしてヒロイン、笹森礼子とサブヒロインの星ナオミも美しい、傑作である。遊びはないが、清順監督のカラー作品は色使いはやはり良いと思った。

そして、後に「清順美学」と言われる不思議な世界が濃くなり出すのが「野獣の青春」であったと私は思う。それ以前の映画でも、他人が撮らないようなことをやっているのだが、会社が怒り出すようなことはしていないように私には見える。この映画に関しては、先に書いた冒頭のシーンから、キャバレーの不思議な地下室の空間など、不思議なシーンがいっぱい出てきて、売春の女の子を毛糸の色に称えて表すなど、脚本も含め変わったものになっている。だが、大藪春彦原作の映画としては、最もできの良い一作と言ってもいいかもしれない。銃の見せ方や、錠は何者か?という見せ方もとてもよくできている。そして、色が落ちた赤茶けたフィルムでも、その映画のクールさは理解できた。その辺りは、清順の演出センスの確かさを見せつける一作である。

そう、こうやって1980年の私の文芸坐通いは幕を閉じる。記録を見ると、この次の日にウディ・アレンの「スター・ダスト・メモリー」の試写会に行って、クリスマスの日に「グローイング・アップ」と「グローイング・アップ2」の二本立てを池袋のテアトル池袋2で観ている。クリスマスの日に「ミスター・ロンリー」が流れるのが印象的な映画を観てるなんて、暗い青春だっと思いますな。

さあ、次は開けて1981年です。

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