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「パリ13区」都会の孤独とSEXと絶頂と虚飾と未来と

昨年公開のフランス映画だから、パンデミックの中で、こういう映画が撮りたくなったということもあるのかもしれない。三つの原作をもとにパリ市の端の方の地区に住む4人の男女、いや男は一人か…の生活を淡々と追っていく映画だ。画面は基本、白黒。ただ、一箇所だけ、ネットのポルノスターが登場するところだけがカラーになる。アクセントとして、もう何箇所かカラーに置き換えてもいいと思ったが、なぜなのだろう。

冒頭、裸でカラオケをする主人公の一人の台湾人、ルーシー・チャンが映る。そこに黒人のマキタ・サンバが現れ、徐々に二人のルームメイトという関係が説明されていく。こういう、知らない同士のルームメイトというものが、この地区にはそれなりにあるということだろう。その二人のSEXは、日本のロマンポルノなどで表現されるよりは、生臭くなく、ただ、ストレス発散の行為として描かれていく。日本とフランスの地では、その行為に対する概念が基本的に違うように見える。そう、だから、日本で多く描かれていたこういう映画とは、一味も二味も違った感じに見える。

そして、先ほど書いた、カラー画面になって、ポルノスターに間違えられた女、ノエミ・メルランの話になっていく。ここで、この映画はオムニバスなのかと思ったが、彼女が、後で前の二人に絡んできたりするので、短編をうまく繋げて一つの世界を作ろうとしたことは後からわかる。ある意味、原作にはそれほどのドラマがないのを、飽きないように再構成したということなのだろう。

その割には、話をつなぎ合わせた感じでなく、うまくまとまっている映画だ。人間の色々なストレスと、それを振り払うように没頭するSEX、そして自分が出会ったことのない人間への興味と、未来への失念みたいなものが、観終わった後に混ざり合って観客に迫ってくる。ここに描かれているのは、エッフェル塔も凱旋門も見えないパリの情景だ。孤独な集合体の中でのうめきが聞こえてくるようなモノクロ画面を2022年に観ているとは、なかなか辛い感じもする。

先ほど、ロマンポルノの名を出したが、質感は違ってもそこに描かれているのは、同じモノクロで作られた、田中登監督「色情㊙︎めす市場」にも近い世界なのかとも思った。まあ、商売女の描き方は全く違うが…。あと、寺山修司的なものも感じたりした。どちらにしても、1970年代頃の、学生運動時代後の破滅的な香りがどこかにするような映像であった。

今現在、先進国のあちこちで、なんか、先祖帰りみたいな呻きが聞こえているということなのだろうと思う。監督は、結構若い人なのかな?と思って見ていたら、私より歳上だった。ということは、同じように、昔に現在を重ねているのかもしれない。ここで表現されるSEX、男女の気持ちの重なり感、そして重なる相手に見る希望みたいなものに、我々日本人は何を感じるのか?私は、こういう未来が見えにくい世界に戻されるのはごめん被りたいと思うのだが、こういう世界にはまりつつある現実があることは確かだと思う。

確かに、男も女も人種が違っても、そこにSEXがあり、愛があり、未来に進むしかないのだが…。


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