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「恋は光」爽やかに撮り上げられた、恋愛哲学劇!

先週、封切りの映画だが、今週はもう1日に1回の上映。客は入らなかったのだろう。でも、今日、平日の昼間だったが、5分の入り。私もそうだが、ネットでそれなりの評価が出ているのを見てのことだろう。昨日書いた「ハケンアニメ!」の話もそうだが、興行側が宣伝しない分、SNSなどで流れる観客の生の声が実に重要な時代であると思った。

コミック原作の映画化だが、小林啓一監督の手腕はなかなか堅実。そして主人公たち4人神尾楓珠、西野七瀬、平祐奈、馬場ふみか、のそれぞれに個性的なコントラストも相まって、なかなか、面白い恋愛劇に仕上がっていた。

神尾が、恋する女たちを取り巻く光が見えるということで、恋をしたことがないという主人公。そこに、スマホも持たず本ばかり読んでいる、平祐奈が現れる。この二人、どう見ても今風ではない。でも、スマホで通信を強要されるような時代には、こういう個性派もそれなりにいるのでしょうな。そう、この混沌な時代にあって、彼らはそれほど浮いていない。大体、20代の4割が恋などしていないようなデータも出てきてますものね。

この二人が、そして、「恋とは何か」という交換日記を始めるわけである。そんな、映画だがら、セリフが多い。そう、無駄な説明が多い映画なのである。でも、そういう映画があってもいいと、無理やりまとめ込まれている感じが結構好きだったりする。

昨今、私は、量子力学が語られる時代に、恋愛を数値化することは可能なのか?というところにすごく興味がある。イコール、「心」の数値化である。それができれば、AIにも心の灯が灯るということである。だが、実際には、「心」がどこにあるのか?という命題にも答えは出ていない。そう、この映画では、最後に「恋とは、本能と学習の賜物」みたいな話になっているが、そんな曖昧なこと言われてもよくわからないですよね。

そして、恋する女子たちから光が放たれるのは、私も見たことがあるような気もする。恋するフェロモンはたまに、実態を表すものだ。だから、神尾と馬場が飲んで話してる時に、恋してもいない馬場の周囲が光るのもわかる気はするのだ。女はいつも恋をしている?恋のときめきは、その現場でしか理解できないものですしね。

それはさておき、平との恋の結末で、夜の倉敷の街で平から放たれる光は実に美しかった。これが撮れる監督の腕はなかなかである。そう、映画とは美しいものでなくてはいけないと、今は亡き鈴木清順監督が言っていたが、美しい画を撮れる監督には、すごく興味が湧く私である。平祐奈に、「けんかえれじい」の浅野順子の美しさみたいなのを感じましたのよ。

とにかくも、神尾が監督自身の分身のようなものなのだろう。恋とは何か?ということを追い求めるドキュメントとみても、この映画面白いと思います。

そして、最近、どんどん綺麗になってきた西野七瀬が、この映画のヒロイン?高校生に、神尾とお似合いですねと言われ、光り戸惑う姿など、なかなか上手い表情を見せていたし、最後まで決して押し付けがましくない性格の女の子を見事に体現させていた。そう、この人は、ゆっくりゆっくりと女優に育っていく人なのだろうなと感じたりしている。

そんな、青春劇が行われるのが、岡山県だというのが、この映画の質的なピュアさみたいなものをさらに増幅させている。都会では、こんなにのんびり恋愛とは何か?みたいなこと言ってられないでしょう。でも、パンデミックで恋もゆったりなご時世、こういう恋愛の見直しみたいな話、受けるのかもしれないなと思ったりもしました。そう、映画館を出た後、ニコニコできたのが、この映画の感想だったりします。


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