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「アカイリンゴ(第7話)」セトリと脱法バー経営者は友人?

このドラマ、SEX禁止の世の中を描いたものだが、結果的にはSEXは人間にとってとても大切なものだというテーマがあるような気もしてきた。エロ漫画や官能小説全てに言えることかもしれないが、それは、人間の基本的な欲求を満たすもので、それは人間の本質的なものを論理づけたいからという一面もあったりする。そして、そういうものがない世界で、SEXに皆が興味を覚えなくなったら種族は破綻するわけである。今ある少子化問題は、SEXに対する本質的な欲求がそれほど必要でなくなったためにあるわけで、そう考えれば、このドラマ(原作のコミックも含め)なかなか哲学的要素を含んだ一作だと思う。

そして、「何故SEXは禁止されたのか」という問題がよく理解できない中で、主役の小宮は、新條由芽の紹介でSEXバーで働くことになる。もはや、セトリになることは彼の夢ではなくなったということ。だが、彼はまだ童貞だ。ここのところが、この話のわかりにくさ。つまり、SEXは麻薬のようなものとして扱われ、一歩、前に出なければ、なんとかなるということなのだろう。だが、小宮は教師に口でいかされたことはあっても、自慰行為には至っていない。この辺りも彼の現在地が今ひとつ分かりにくいところ。

そして、そんなバーに、川津明日香は、小宮の本心を知りたくて客として乗り込む。彼女がSEXをしようとした時に彼が止めなければ、彼はもう川津を愛してないのだろうという確認をするために。この時の彼女の衣装、なかなかそそるものがある。そう、こういう世の中になったら、女たちのこういう洋服はなんのためにあるのか?そして、SEXなしで人工授精だけの夫婦関係など成立するのか?考えていくといろんな問題が持ち上がってくるのが面白い。

そして、息子の失踪を追って、父親の和田總宏は、彼が勤めるバーを突き止める。そこにいた店主の飯田基祐は、彼の友人だったようだ。二人に何があるのか、そして、親子ともに、飯田に飲み込まれていくのか?というところ。

父親が来る前に、川津を連れて逃げ出した小宮は、その途中で新條に出会う。次週の予告を見入ると、小宮はベッドの上で2人と一緒の画。なかなか羨ましい絵図であるが、これは夢という設定ではないのだろうな。特に、話が大きく動くわけでもないのだが、ちゃんとセクシーなシーンも入れながら、音楽もセクシャルにうまくまとまっている深夜のエロドラマだと思う。こういう作品を流すことで、皆がSEXしたくなる欲望の中に堕ちて、少子化が抑制できるなら、それはそれで良いことなのかもしれない。

つまり、何が言いたいかというと、昨今のAVの表現はエロになっていないということなのですよ。

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