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「推しの王子様(第10話)」大きなお金で楽しいことができないということ

大企業の傘下に入り、基本は重役が一人増えただけという話なのだが、言ってくる事は、スポンサーへの気遣いや、経費をどう取り返し、どのくらい儲けるということだけ。そう、仕事の本質が変わってしまうのだ。特に、新事業として参入する大企業は、金出して、人集めればどうにでもなると思っている。仕事の本質など知ろうともしない。ドラマでなくても、こういう現場は多いのだろう。所詮、ベンチャーと大企業が求めているものが違うということだ。

だから、大きな見晴らしのいいオフィスとか、食事代が只とかの向こうには、それと引き換えに個々の心が無視されるということは、この日本ではほぼ当たり前のことのように存在する。そして、時代はそこから変わろうとしている。そういう意味では、今更、こんな現場を見せられるのは古臭く感じるし、このドラマ、渡邊圭祐を比嘉愛未が育成するドラマだったのに、そこは早々と終わって、なんか全然違う方向に動いている。

そして、比嘉が、自分が作ったゲームを捨てるということは、どういう事なのか?捨ててみてわかるというのも、なんか、頓珍漢な話なのである。比嘉自身にあった信念が一気に消えてしまい、自ら会社を辞めるということに。この流れも、かなり短絡的。

まあ、最終的に、比嘉と渡邊をくっつける算段なのだろうが、その主人公たちが、皆、自分を見失い、リセットされて慌てふためいているのでは、今までのドラマがだい無しだろう。

そして、来週が最終回でもない感じだが、どこまで間延びさせるのか?やはり、まず、渡邊の成長をしっかり描かなかったことに問題があり、その傍らの比嘉に、もう一つハードルを越えようというような夢を持たせなかったことが原因だろう。そう、金の量や、仕事の多さみたいなものでは、仕事の楽しさは測れないのだ。その辺り、書き手はわかっているのだろうか?実際に経験値が少ない感じにも見える。

ディーン・フジオカに頼れない比嘉という位置的なものもよく理解できない。彼の使い方も何か間違っている気がする。結果的には、彼が腑抜けに見えたりもする。

しかし、この買い取った企業も、本質的には、電通などの腐った部分だけを信じこんだバカ企業ですよね。まあ、船越英一郎がやってる会社だから仕方ないが、ゲーム部門に入ってきた重役の仕事ができない感じも大したものである。大体、商品よりスポンサーを大事にするようなところと手を結んではいけませんよね。そして、何よりも大事なゲームを終わらせた責任は、彼らにあるというよりも比嘉自身にあったりもするのが悲しい訳で、だから、比嘉がダメな女になってしまったという顛末。

全体のバランスの崩れたドラマは、立て直しようがないということの見本のような作品であり、そういう意味では、最後まで見届けたかったりもします。

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