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「はちどり」世界で共有できる思春期の女の子の頭のモヤモヤ。女性監督の作る映像の柔らかさ

韓国内外で多くの賞を獲った作品。大きなドラマがあるわけでもない138分。中学2年生の主人公ウニのモヤモヤした日常を綴ることで、日本の若者も感じているであろう空気がそこにある。このような空気はグローバルに通じるものなのだろう。世界から共感が湧いたという状況はよくわかる。静かに柔らかく、キム・ボラ監督は隙のない演出で作品を仕上げている。

舞台は1994年の韓国である。ちょうど、私が仕事で韓国に行っていた頃の少し後に合致する。映画の中でワールドカップが出てくるが、日本が「ドーハの悲劇」と言われるもので出場を逃したアメリカ大会である。そして、映画の最後の方に「聖水大橋の崩落事故」の話が出てきて、ドラマを動かす。子供たちがポケベルを使っている。まだまだ、携帯もPCも身近にない四半世紀前の時代。親たちは一生懸命働き、子供たちには良い学歴を与えようと望む。この頃は、日本の事象が少し遅れて韓国の事象でもあった。そういう意味では、日本を追い越したような今の韓国とは少し違う。だが、子供たちの頭の中は時を越えても同じなのだろう。

キム・ボラ監督も1981年生まれだから、彼女の世代感で撮られたものだろう。そういう意味では、当時の韓国の中学生の生活がきちんと再現されているのかと思う。クラブのような空間で踊っているシーンがあるが、こういう場所で中学生が遊べたということなのか?カラオケに行くのも不良という教師もいる。微妙に日本とは違うのは、興味深い。考えれば、昭和にはこのような中学生を「不良少女」と扱い、堕ちていくような映画が日本にも結構あった気がする。ただ、日本の場合は、それをエキセントリックに扱うのでそこはフィクション感が強いが、ここでは、ドキュメントのようなタッチでただただ、主人公の行動を追うだけで、彼女の心の揺れを捉えている。

そこが、世界のどこでも、誰でも共感できる映画になった由縁だろう。親子関係、恋人?との関係、友達との仲違い。様々な思春期のテーマが詰まって、多分、世界中の人が主人公ウニの視線で映像の中に入るように少し長めの時間を過ごすことになる。

そして、彼女のことを理解して、家族や友達がしない話をしてくれる、漢文塾のヨンジ先生とウニの関係が、この映画が描きかったことの答えなのだろう。漢字を使わなくなった韓国ではこういう漢文塾というものがあるのだろうか?初めて見た。そう、古い言葉を学ぶ中で、ヨンジ先生はウニに中学生の哲学を与える。ウニの世界を見る眼差しが全編で印象的な映画であるが、このヨンジ先生の眼差しもまた印象的である。人生でいろいろと苦労している人なのだろう。大学を休学しているという話でもそれはわかる。

そして、最後には先生はウニの前から消えてしまう。そして、その先にウニの未来が見えてくるのか?見えてこないかもしれない…。ただ、ラストでウニは自分の言葉で自分の意思を言えるようになっている。そして、家族というものの意味や、友人というものの扱いも、少し理解できるようになっている。思春期の成長は、一気にくる。その一瞬の時間の肌触りを見事に映像に封じ込んだ佳作である。

舞台の時代を明確にした映画だが、多分この映画は何年経っても色あせないだろうと私は感じる。時代を関係なくして誰もが通りすぎるその時期の苛立ちがそこに存在するからだ。多くの映画を観てきた私も、過去にはない何かを感じた。映画というメディアがこういう形で、時代を超えた人の感情をやっと捉え、封じ込められるメディアになったのかもしれないと思えた2時間超でありました。


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