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「私は最悪。」人生の目の前の事象に流されながらダラダラ生きて後悔する話

そう、主人公は大学で医学を学べるほど、頭はいいのだ。そこで、「私は人の身体よりも心に関心がある」という結論に達する。まあ、どこの大学でも、入ってから「これは私に合わない」と思う人はいるわけで、不思議なことではない。男も、自分にはないアートの才能を見て決めているような、まあ、出たとこ勝負の主人公なのである。悪く言えば目標なしで、ダラダラ生きていく感じ。考えれば、世の中って、こういう人が圧倒的多数だろう。そして、そういう生き方では、なかなか幸せな感覚も、自己承認欲求も満たされない。この映画は、そんな圧倒的多数の後悔だらけの人に捧げられた映画?ということなのだろう。

先にも書いたように、全体が結構ダラダラした映画だ。それ自体が一般的な人生と言わんばかりに。だから、最初の方は、私の体調もあったが、結構眠気が襲った。だが、この映画、最初から12章と宣言されて、そこに始まりと終わりの章がくっついて、まあ、それを追っていくと、今映画はどの辺?というのもわかるわけで、なんとかついていけた。

カンヌで主演のレナーテ・レインスヴェが女優賞を取ったというのは、それなりに納得。ノルウェーの映画なわけだが、世界中にこういう人はいるだろうし、海外の映画祭では、それなりに受け入れられるだろうことはよくわかる。だが、結局、ヒーローもヒロインもいない、失敗人生から私たちは何を感じればいいのだろうか?そういう点から言えば、私が思う映画的なエキサイティングな訴えかけるものは皆無と言っていいのですよね。

ラスト、彼女のカメラの被写体になった女優?が夫と小さい子供と一緒に仲睦まじくする画。それを羨ましく見つめる主人公。これを見る限りは、この映画、イソップ物語のような教訓話ということですよね。演出もそれが描きたかったということだと思うのですよ。ある意味、ダメな女の数年間くらいの話。そして、彼女は、「私は私」と納得させてまた生きていくとしか思えないのがちょっと寂しい。

結構、SEXに関する話が出てくるのですが、やはり北欧の人はこういうのがすごい大事なのでしょうか?男の勃つ前のものが好きだとか、おしっこするとこ見せ合ったりとか、日本人にしたら、「このシーンいる?」というのも結構あったりする。そして、それは彼らには日常の快楽習慣でしかないということはわかるのだが、日本人にはちょっと不思議な男女関係に見えたりもする。

最初の彼が描く、悪い猫の漫画はなかなか面白く、もっとこれ使えばいいのにと思ったりもした。そう、この猫の話でクリスマスに彼が喧嘩して、その後、彼が膵臓がんとわかるわけで、結構この猫が重要なアイテムだと思うのですよね。

こういう映画が作られ、それなりに世界中で公開され、そして評価されるっていうのは、世界中が、なんかもう一つエキサイティングではないと言われている気がして、ちょっと辛かったりもした。みんな、もっと人生楽しんでいきましょうよ!って言いたかったりね。とはいえ、戦時下だったら、こんなダラダラ生きることもできないし、そういう意味では平和な映画なのだろう。

もちろん、この映画の主人公も、楽しく生きようとして、そうなっちゃうというのはわかりますけどね。なかなか、これを見て立ち直れなくなってしまう人もいるのでは?と心配しながら映画館を後にしました。



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