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「あの頃、文芸坐で」【63】最初のゴジラを劇場で観るという時間

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文芸坐.001

文芸坐.002

時、1981年12月17日。この年、最後の文芸地下にいって、「ゴジラ」と「ゴジラの逆襲」の二本立てを観る。年末だったが、結構な人が入っていたと思う。映画をビデオで見るという行為が一般的ではなかったこの頃は、怪獣映画には人が集まっていた。

それを語る前に、年末の映画三昧の様子を綴っておく。12/13には、飯田橋佳作座で「蔵の中」と「真夜中の招待状」の二本立て。蔵の中は角川映画で、主演はニューハーフという言葉はこの辺から出てきた言葉だと思うが、その松原留美子主演、高林陽一監督ということで期待はしたが、とてもつまらなかった記憶しかない。そして、野村芳太郎監督の「真夜中の招待状」は「エレファントマン」のヒットから企画されたと思われる奇形人間もの。小林麻美主演ということで、それは楽しめたが、映画は彼女とは合わない内容だったという結果。まあ、わすられない映画にはなりましたが…。

12/21には、シネマプラセットで岡本喜八監督「近頃なぜかチャールストン」そして、12/25には丸の内東映で「セーラー服と機関銃」と「燃える勇者」の二本立てと、有楽シネマで「風の歌を聴け」の封切りはしご。なかなか贅沢な年末だった。まあ、映画以外、何も考えていなかったのだろう。「近頃〜」や「風の〜」などのATG関連作品は、当時では、日本映画の一つの流れとして貴重だったし、刺激的でもあった。フィルムで金を抑えて撮るという行為が芸術的みたいな部分は間違っていたとは思うが、「映画とは何?」という問いかけに対する回答の一つだったような気がする。

そして、「セーラー服と機関銃」は、相米慎二監督が角川映画という中で、自分の作りたいものを作ってしまったという流れに感動した。ワンシーンワンカットで映画をつなぐ、それもアイドル主演の映画で、アイドルを簡単にアップにしないという無謀な映画は、今見ても新鮮さを失わない。映画とはそういうものなのだという定義を相米監督に習った気がする。多くの人が、併映の「燃える勇者」の方が面白かったという感想を述べたのも覚えている。そのくらい相米映画は異端でありすぎたのだと思う。そして、この「セーラー服〜」を観たショックは結構、年を越しても続いていたと記憶する。

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長い前振りの後で、プログラムを見ていく。まず、コラムは「住所録」を作っているお話。1981年といえば、まだPCはほとんどの人に異次元の品物であった時代。まだ、ワープロが大手を振って家庭の中に入っていった時代だ。もちろん、携帯などというものもない。そんな中で、「住所録」というものは大切だった。「個人情報」などという言葉もない時代、それは知っている人とつながる手立てだった。ここに書かれているような思いでは当時の多くの人にあるのだろうが、最近は、電話がつながっていてもどこに住んでいるのか知らない人も多い。情報の形が変わっているのだが、今の方が不便が多いと思うことも多いですよね。

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プログラムを見る。正月特別興行が出てくる。文芸坐が「カサノバ」「ルードウィッヒ」文芸地下が「典子は今」「幸福」、そしてそしてル・ピリエで「風と共に去りぬ」全て、特別料金。この頃から、名画座というものに対する風当たりが強くなっていったのだ。映画を売るという行為の中でまだ、ビデオ販売という形式がなかったのだが、それだからこそ、まずは名画座のような安い興行を許さないという流れができてきた。最近では、「正月料金」というものも無くなったが、安い興行もほぼ無くなってしまった。そんなことを考えてしまった、プログラムだ。

オールナイトは、中川信夫監督特集から、年末は泉谷しげるのコンサート。ル・ピリエでも年末5日間、浅川マキのコンサートが行われている。こういうことが、映画館という場でできた時代。本当に幸せだった感じがする。

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そして、やっと「ゴジラ」の話である。この日、私は大学のサブカル好きの男を一緒にこのプログラムを観ている。館内は、ほぼ満員だったと記憶する。この第一作のゴジラを劇場で見たのは初めてであった。劇場で観る方が、当たり前のように怖いゴジラ映画である。そして、怪獣映画というよりは、戦争映画に近いこともよくわかる。非難した負傷者を映すシーンは、空襲で焼き出された人々と同じ捉え方だ。まあ、この映画を当時、封切りで見た方々は、驚いただろうということはわかる。できるならば、タイムスリップして、その時の劇場で鑑賞したい映画である。そして、この映画はあくまでも核兵器に対するアンチテーゼ作品なのだ。その部分は絶対に忘れてはならない。

そして、「ゴジラの逆襲」。監督は小田基義。主演は小泉博、千秋実、若山セツ子と、前作に比べ色々と弱い映画である。もちろん、特撮は円谷英二だから、ゴジラのシーンは迫力はある。ここでは、もう一つの怪獣、アンギラスとの闘いというものがあり、怪獣映画のプロレス化は、すぐに始まったことがよくわかる。そして、壊される街は大阪。前作で東京がメチャクチャになったということもあって、大阪なのだろう。最後は、ゴジラが雪崩の中に生き埋めにされるという話。ストーリーもあるが、ゴジラに対してそれほどの思い入れがまだない映画だ。ゴジラシリーズが本格化するのは、この映画が作られた7年後の「キングコング対ゴジラ」からである。当時は、21世紀になっても作られ続ける映画だとは誰も思わなかったのでしょうな。

とにかく、やはり特撮映画は映画館でみて迫力を感じるものだと、この時思った気がする。この年齢になっても怪獣映画はそれなりに観るのが楽しみだ。近く公開の「コング対ゴジラ」もかなり期待はしている私であります。


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