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「ワンダーウォール 劇場版」渡辺あやの「幸福論」。それは、時代の変わり目に重要な事

NHKBSで放送されたものに、新たに映像を加えて劇場版にしたものである。築100年を越す老朽化した学生寮の立ち退き問題がテーマ。そこには現代のビジネスのみの再開発という名の虚しさが見える。舞台のモデルは京都大学だそうだ。空襲を受けなかった京都だからこそこういう寮が残っているし、それを壊すという問題は結構な問題な気がする。ある意味、考えようによっては重要文化財にされるようなものでもあるわけだ。

そんなテーマを、渡辺あやさんが約1時間の脚本にまとめた作品。流石に彼女の脚本はシンプルに見えながらもよく仕組まれている。話は、寮生たちの会話ばかりなのに、世界が大きく広がっていく感じは、なんなのだろうか?渡辺あやワールドは、言葉の間合いから様々な翼が広がっていく感じ。そして、演出家はその脚本に動かされる。

舞台は平成の大学である。その割には寮自体の雰囲気もあるが、昭和のバンカラ的な様相。そんな中に、トイレがジェンダーフリーだとか、敬語禁止だとか、今風な自由な世界が広がっている。学校とのやりとりも、昔、学生運動が盛んだった時期とは違い、学校有利の状況。そして、学校から学生課に一枚の壁を作られ、バリケードされてしまう。「ワンダーウォール」というのはその壁の意味だ。そう、学生たちは、至って大人しく、弁が立つものも少ない。この辺り、公開中の映画「三島由紀夫VS東大全共闘」と比べれば、去勢された軍団であろう。(私は、けして東大全共闘が優れてるとは思わないし、何言ってるのかよくわからない過去の異物とさえ思っている)。でも、真剣に自分の居場所が残る事を望んでいる。その意味も明確に出来ずに…。そこは、まさしく現代の若者像だ。

学生たちが惑うことへの回答は、学生の姉だという学生課の派遣社員、成海璃子によって語られる。それは、脚本家、渡辺あやの回答でもあるのだろう。

つまり「幸福論」なのだ。長い年月をとった建物というのは、それなりに「気」を持ってしまう。その積み重ねが、学生たちの幸せも苦しみも吸ってきたような空間。そして、そこに身を置くことで、新しい価値観を持って卒業していく学生たち。そう、この寮自体が人が生まれる胎内のようなものになってしまっているのである。

だが、経済的な側面から見て、残すのは難しい。結果的には、無機質な建物に変えられて行ってしまう。「幸福」は永遠には続かないということだろうか…。

東京も、オリンピックを開くと言った1964年から、様々な街が破壊し続けられ、なくなった思い出の地が本当に多い。そして、形から始まって、地名さえも葬り去られる。今、建っている、国立競技場とは何者なのだろうか?そう、新しいものに新鮮さを感じない時代になっている。そして、現在のコロナ禍の中で、建て続けられたビル群が必要ないのでは?という話さえ出てくる。

そういう中で、この映画の寮が残る可能性も出てきているのかもしれない。古いものは、古いなりに温もりを感じる。そこに新たな発見があるし、暖かい人間関係もできる。それは、会社組織も同じことだ。だから、ここで描かれる、自分たちが愛する地を残したい、そしてずーっと後輩たちに使って欲しいという心はとても大事だし、今、再度、考えるべき重要な事象だと思う。

少し、公開は遅れたが、今、この映画が公開される意味は大きい。新しい世界観のなかで、古の記憶や残骸は、光って見えることがある。それは、残った意味があるからだ。この映画に出てくる、この寮の門前の風景に何も感じない人はいないだろう。そう、必要とされて今それはそこにあるのだ…。

そんな、形のない詩的な感覚を会話の中に乗せていく渡辺あやさんは、本当にピュアな作家である。

そう、名作「カーネーション」の中で尾野真千子が東京の娘のところに行って、友達たちの夢を聴いて、それに葉っぱをかけ、自分もまだまだと、すごいいい顔で大阪に帰るという下りがあった。そんな、尾野真千子の気持ちでこの映画を観ていた私だった。

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