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追悼「志村けん」テレビが育てたコメディアン。その時代の真ん中にいた栄光

子供の頃、テレビの看板番組を持っているコメディアンはヒーローだった。そして、彼らのコピーは小学校で増幅し、それは時代の中の一大ムーブメントとして今に残っている。

だから、彼、志村けん氏の死を多くの人が嘆き、「自分の子供時代を楽しくしてくれてありがとう」という声があちこちから聞こえてくるのがわかる。最近は、そういう国全体を動かすようなエンタメの活力を持った若い才能というのはいなくなった。それはやはり悲しいことだと思う。私にしても、そういう同じ空気感を共有したことが生きる糧にもなっているからだ。

テレビ草創期、いわゆる演芸場の舞台がテレビで中継され、落語家や漫才師はテレビで新時代を作って行った。それと並列して、進駐軍の前で演奏していたクレージーキャッツが、映画、テレビに進出してくる。それは、アメリカ的なギャグをテレビという茶の間に持ち込んできた。

この辺りは、私自身はあまり記憶が濃いものではない。私がテレビで見て、初めて刺激を受けたのはコント55号である。萩本欽一、坂上二郎の舞台中を駆け回る姿はその動きだけで子供たちを魅了して行ったのだと思う。子供は動くものに興味を持つ。そこに少し遅れてくるのが、ドリフターズだった。

まずは、いかりや長介をはじめとしてメンバーの名前に子供は食いついたのだと思う。中でも高木ブーというのはわかりやすかった。全て、先輩となるハナ肇が名付けたものだというが、今考えても天才的である。

そして当時のドリフターズの主役は誰よりも加藤茶であり、彼がいかりやにいじられ、仲本などと悪巧みするような感じだったと思う。そして、アウトローな荒井注がいて、鈍臭い高木ブーが色をつけるという感じ。最初は、それほど面白くなかった気もするのだが、結局のところは、毎週、土曜の8時は彼らの姿を見ていたから、やはりすごい影響力である。

そう、彼らのやったことは、演芸場でできるものではないし、クレイジーがやっていたような大人に向けたコメディでもなかった。あくまでも、それは子供と同化できるギャクの応酬だったのだと思う。それも大人がバカをやることで成立しているところが味噌だ。

そこに、いつしか「見習い」という肩書きで出てきたのが志村けんである。ある意味、その頃から、脇の方で目立つ感じだったと思う。そして、荒井注とのメンバー入れ替え、彼の時代がやってくる。

このように歴史を辿っていくとわかるのだが、ドリフターズもクレイジーと同じ進駐軍の演奏の流れから作られて、テレビに進出して行った集団である。そして、他のコメディアンも演芸場から出てきた人がほとんどだったと思う。ビートたけしが出てくる時代までそうなのだから…。

何が言いたいかといえば、そういう演芸場や進駐軍などの下働きではなく、テレビの中でドリフの付き人をやり、そして、テレビの中のコメディアンとして一流になったという人は、志村けんが初めてではないか?という話である。(他に誰か有名どころがいたらごめん)

とんねるずやイッセー尾形などを産んだ、「お笑いスター誕生」が隆盛を極めるのもずっと後のことである。そう、簡単に素人がいろいろ飛び超えてプロになるようなことがなかった時代、1974年に志村けんはドリフ入りしている。

1974年というと、私は中学生であり、スター誕生隆盛の時代。つまり、萩本欽一が少し目立ち、もう一度復活するのはもう少し後のこと。(ドリフの裏番組となる「欽ちゃんのドーンとやってみよう」が開始するのは1975年である)

話を戻す。テレビで育った志村けんは、ドリフターズのあり方をかなり変えたように思う。加藤茶と志村けんというツートップとして生まれ変わったということである。お互いに意識しあいながら共に大きくなって行った気がする。そして、二人といえばヒゲダンスであり、これも回を重ねるごとに難易度の高いことをやって行ったから、本当にすごいコメディアンなのだ。

そして、あの生放送で、毎週違うネタでやり続けたドリフターズというチーム自体が圧巻であり、そこを最後はリードしていた志村けんという存在は、本当に唯一無二の人であったと思う。振り返れば、それを否定できる人はいないだろう。

前に話に出した、萩本欽一の欽ドン!は、結局は視聴者の葉書から番組を広げて行ったもので、萩本自身のコメディアンとしての才能はもう、測り知れる段階にあり、当時の志村けんのマイウェイ状態とは、全くコメディを争う存在ではなかったのだろう。

その後の志村けんは、今に至るまで、オンリーワンであり続けたと思う。だからこそ、今、NHKの朝ドラ出演や映画主役の話がここで頓挫してしまったのはとても悲しいし、残念なのである。俳優、志村けんという世界が今から始まるところだったのだ。いかりや長介がそうであったように、彼の新しい渋さみたいなものを見たかった。

まさか、こんなにあっけなく、流行り物に駆逐されようとは?日本全国の皆さんと一緒で、まだ茫然である。

こうやって、振り返っても、志村けんの前にも後にも同様のコメディアンはいなかったし、これからも出ないであろう。とにかく、天国は酒はうまいし姉ちゃんは綺麗だろうから、ゆっくりしてください!多くの笑いを本当にありがとう!

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ビデオ映像クリエイター、インターネットコンテンツ製作者。 電子機器メーカーの機械設計者をへて、数年前から、ビデオ制作を生業の中心にしています。 YouTubeを中心に制作発表したビデオコンテンツ5000本程度 毎日、数本以上のビデオを制作アップし、日本映画研究もやっております。
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