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「風間公親〜教場0〜(第6話)」やっと描きたいシークエンスが始まる感じ

冒頭、北村匠海を刑事にはなれないとした風間が上司と話すところ。ここでも、風間はずーっと辛気臭い表情なのだが、上司の前でこういう態度では、実際、この指導官という役目は果たせないのではないかと思う。上司に対してのリスペクトは感じさせるシーンにできなかったのか?結局は風間公親というキャラクターの具現化に失敗しているように感じる。

たぶん、原作はこの風間という鉄仮面のような刑事のキャラを思いつき、そこに反抗しながらも、最後にはそこに刑事の真髄を見る若者たちみたいな風景を描きたかったのだろうと思う。そこから、教育とは何か?刑事とは何か?というようなことを語りたいのだろうと思う。

だからか、今回の殺しの話もそうだが、サスペンスとしては、ひねりがあまりなく、謎解きも「何だこれ?」というようなものが多い。そして、その事件がドラマの中で風間公親というものを前に出すものになっていないというのは致命的な気がする。

ドラマの構造が、犯行シーン先出しになっているのは、サスペンスをそこにあまり求めていない証拠であり、だからこそ、風間と生徒である刑事のやりとりが見せ場なのだが、風間のキャラクターをあまりにもストイックにしすぎているために、彼の行動の真意みたいなものが視聴者には伝わらないものになっているというのがここまでのところだろう。そういう意味では、演じる木村拓哉自身もこのキャラクターになることに難しさを感じているのではないかとは思う。だが、結果的にそのキャラの愛情みたいなものをうまく出せていないというのがここまでだろう。

そして、今回のドラマは北村匠海編の2回目で、本当の父親と義理の父親が息子の将来について揉めて、殺人が起きる話だが、事件の解決への道筋はあまり面白くはなかった。息子の人生の話で事件が起きて、そこに、北村の刑事になりたい意味を探り着地するという流れ。そこに、風間は「刑事として、科捜研より先に犯人を落とせ」みたいな時間処理能力を北村の問う。なんか、そこに刑事の真髄があるとも思えないから、この指導は指導ではないと今回も思ってしまった。だが、事件が解決し、北村が「僕は刑事になれるでしょうか?」と問うと風間は「お前はすでに刑事だ」と返す。このドラマの中で最も愛情を感じる言葉ではあった。だが、これ、名言にはなっていない。言葉とは人の行動の積み重ねがあって、重くなるものなのだ・・。

だが、そこから事件が起きて、ドラマが最終章に入る流れ。というか、この風間が眼を無くすところの話をクライマックスに見せるために、連続ドラマとして構成してきたということだろう。そのあたりが、見えてしまう感じがこのドラマの大きな欠点になってしまったということだ。

今回のラストは、なかなかセンセーショナルだが、そこに持っていくまでに私が風間公親にシンクロしている必要があった気がする。そう、ここで見ている方が犯人に「よくやった」というような感情がかなり出てしまうのはこのドラマの闇の部分が花開く感じで気持ち悪い。

そう、考えると、最初からあまり気が乗らない主人公のいるドラマというのは、その主人公を抹殺したいという気持ちが働くものであり、ドラマというものが見せ方で人のアドレナリンの出る箇所を変えてしまうことがよくわかる。それが、正義などは人の解釈で変わるというところなわけだ。

連続ドラマとしてはもはや破綻してる感じはするが、私がこのドラマをラストまで見て、何を思うかというのに興味が出てきたというところはある。

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