「土を喰らう十二ヵ月」季節と食と生き死にと失恋と・・・。
ラスト近く、沢田研二に一緒に住もうと言われた松たか子は、「私結婚するの」と言って、食事もせずに去っていく。これは、沢田がフラれたということなのだろう。松がとてもワクワクした感じで車を沢田の家に運転するところから始まるこの映画は、12ヶ月経って、いや、実質は10ヶ月くらいか、その間にフラれてしまうという恋愛映画と考えるのが正しいのかもしれない。そう、日常には、こんな感じで小さなドラマが散らばっている。そして、それを彩るのは、食う寝る遊ぶでしかない。そんな映画である。
原案、水上勉。水上さんというと、白髪のイメージがある。そういう意味で今の白髪の沢田研二はそれなりに似合っている。というか、沢田でない無名の俳優がこれをやっていたら退屈な映画になっただろう。そして、編集者の松たか子との相性もそれなりにいい感じであった。2人で、茹でたてのたけのこを頬張るシーンが好きである。料理の映画は、料理が美味しそうに映されていて、食べる人が本当に美味しそうに食べれば、6割方成功と言ってもいいのではないか・・・。
ここで映し出される、沢田研二の暮らしは、ほぼ肉なしの精進料理。そう、和食の美しさを再発見させられるようなものばかりである。茅葺き屋根の家に住み、周囲で山菜や食べられるものを採り、美味しく召し上がる。なるべく電気のない暮らし。こういうのに憧れる人は多いだろうが、なかなか、大変な労力がいる。だから、自分の骨壷を焼こうとして倒れる沢田の姿は当然と言えば、当然だろう。昔の人は、身体を目一杯使って生きていたから早く亡くなったとも言えるだろう。そういう意味では、今の人と活動時間というか、集中時間は一生であまり変わらなかったのかもしれない。
そう、その沢田の山歩きの師匠が火野正平だというのは、なかなか適役であった。テレビの「こころ旅」でも、自然と触れ合い、野草や野の花に興味があるというイメージがあるから、とても親近感があった。正平さん、役者の仕事も忘れずにね。
その火野が、棺桶と祭壇を作ることになる、義母の葬式がこの映画の中では結構メインの位置にある。この義母の女優さんが誰か、最初はよくわからなかった。ラストクレジットで奈良岡朋子という名前を見て、やっと頷いた。調べたら今年で92歳。まだまだ、存在感のあるお芝居をされていて感動。しかし、ここに出てくる、巨大遺影には笑わされた。ここまで大きくして存在感示さなくても良いのではw
この葬式で、おもてなし係の沢田。最後には、お経まで読んでなんとか葬式を切り盛りする。こういうふうにできる人は凄いなと思いながら見ていた。そう、自分でなんでもやるという意味では、料理というのは基本だと私は思う。食べることは生きることだからだ。多分、この映画のテーマはそこに尽きる。
二十四節期をサブタイトルとして入れながら、日本の良き風景を再認識させるというテーマの映画ならこれでいいのだろう。大きなドラマはないが、何か見た後にホッとする感じは嫌いではなかった。
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