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「何曜日に生まれたの(第9話)」こもりびとが良きラストシーンを迎えるためのレインボーパワー!

流石に、最終回は綺麗にまとめてくる野島伸司でありました。こもりびとが、それを見守り続けた男によって、解放され、そしてその男と結ばれるまでのお話。そのテイストはラノベ風にしてあるのがこのドラマの魅力だろう。

こもりびとになったきっかけの高校時代の話を蒸し返すような、同窓会的世界に主人公、飯豊まりえを放り出し、そこで起こることを盗聴したりしながら、漫画の原作として作っていくというドラマの構造は、ある意味、野島マジックだったのだろう。それをうまく構成できるのも彼だ。そして、ラストシーンは、溝端淳平を愛した飯豊がそれを書き直すという感じのラスト。こういう綺麗なまとめ方ができる脚本家も最近はなかなかいないですよね。

まあ、初期の野島脚本からしたら、ドラマチックな部分は少ないし、セリフの迫力も弱いとは思う。そう、ここでの飯豊の父である、陣内孝則が野島伸司なのかもしれないと思ったりした。時代に合わせようと頑張って、なんとか若き売れっ子の原作者の元でもう少しやってみようというのも、本音か?だから、ラストの冒頭、陣内は考えずに、溝端の身代わりでファンの刃を受ける。そう、自分が脚本を書くことで、今の日本のエンタメを守ろうとする感じもそこには見受けられる。

で、最終回は、前回の最後に出てきた、飯豊が自分と同じ空気感を持つ白石聖の心を解放する話も語られる。終盤に出てきた、リアルアガサであるが、それは、飯豊の初回の姿であり、溝端が書いたアガサはずーっと飯豊の同志みたいなものであったのだろう。そして、溝端により、自分の心が解放されていき、少し心が暴れても、やはり籠っていることは意味がないと知ったことで、そこで見た白石を今度は飯豊がその場所から解放しようとする。ある意味、こもりびとの気持ちはこもりびとしかわからないというのは事実だろう。賢者が偉そうなことを言って解決しようとしても、こもりびとが減らないのは、こもりびとの経験者がその更生の職に就くことがないからだろう。それは、いじめっ子だった者がいじめを解決できないのと同じだ。そう、心の解放はその経験者しかわからないものである。

そして、飯豊が白石に寄り添うところで「レインボーパワー」という言葉が唐突にでてくる。ラストにも使われるが、これはなんか話をまとめるために出てきたフレーズのようで、あまりに無理くりな感じはしたが、それで話をまとめてしまう野島氏はやはり天才であろう。

最後に、盗聴を逆に利用し、仲間も使って溝端をはめた感じの飯豊。やはり、クレジットで寄り添う傘の人物は溝端だったのですね。そして、ラストは思いっきり綺麗になっている飯豊まりえが見られる。これから、もっと女優としてレインボーパワーで活躍していただきたい人である。

ただ、このテレ朝の日曜10時枠、作品は良いのに、視聴率が思わしくないようで残念な限り。まあ、今期は日曜劇場が10時台まで割り込んできたりしましたし、「大河ドラマ」「日曜劇場」とステーキ食べた後で、軽く美味しい食事をと言われても難しいかもね。次のこの時間は、堀田真由主演、浅野妙子脚本だとか、ドラマ好きとしては凄く面白そうには見えるのだが、そういう観点が視聴に結びついてるわけでもないのでしょうね。

とにかく、久しぶりの野島伸司作品、面白かったです。彼には今だからこそ、もっと新しい作品を書いていただきたいですよね!

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