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「Silent(第10話)」言葉がなくなったことで伝えられないこととは?

シナリオ本出るのですね。全てが終わった後に、文字としてもう一度読み返したい衝動に駆られるドラマではありますよね。半分は手話で言葉がないのに、そう感じさせるのがすごいとも言える。「手話」で語るところをシナリオで読むとどう感じるのか?というのも興味がある。この作品、生方久美さんの華麗なる連ドラデビュー作として語り継がれることは間違いないわけですが、まずは彼女の文体に触れたいという気はしますよね。シナリオが読みたいと思ったりするのは、かなり久しぶりです。

そして、本編。今回は、紬と想が、何故に付き合うというところに至らないかということの考察。そう、再会して、お互いに話すようになっても、高校時代には簡単に戻れないという話。耳が聞こえないということが、心の中で様々なブレーキを踏むような、そんな心象風景を描こうとした回だったと思う。そして、それは、ラストに向けての一瞬のブルーな心を描きたかったのではないか?そう、私は、ハッピーエンドを信じている。思いっきり泣かせてくれ!と思ったりする・・・・。

だから、最後に想がイヤホンをつけるところは、かなり追い詰められた感じを表現しようとしたのだろう。「紬の声が聞きたい」その衝動の末の行為。そして、忘れていたはずの紬の声が一瞬蘇る。ここから、どう展開するのか、ラストは本当に楽しみでしかない。

耳が聞こえなくなって、想は紬の声が思い出せないというが、そういうものなのだろうか?私自身は、小さい頃の思い出の中に、声というものははっきり残っているところがある。そう思い返してみると、人間の声の記憶というものはかなり重要なものに感じる。好きだった人の声は、普通に今も隣で話しかけられるように聞こえたりもする。そう考えると、想の「声を忘れた」という話は、その時間を消そうとした結果だったのかもしれない。そして、やっとここから時間が動き出したような、・・。このシーンはラストへのブリッジとして考えて良いのだろうと思う。

そんな中で、奈々と春尾も、寄りを戻しそうな状況。それも、想や紬、湊斗のおかげと解釈できる奈々の話がなかなか素敵だった。しかし、湊斗へのサイレントな「バカ」攻撃は面白かった。これを見ていて、言葉を発しなくても、悪口ってわかるんだなと思った。

想の妹が、タワレコにいる紬に会いに来るシーン。想を元気にしてくれてありがとうということを言いにきて、それを家族にも報告し、8年間燻った感じの家庭に少し灯りがついた感じを示す。これで、家族の話はこの先出てこなくても良い感じではある。こういう、ちょっとした小さなシーンに大きなメッセージを込めてくるのが、すごくうまい脚本だと思う。

それで、前から気になっていたのだが、紬は小田急線の世田谷代田の駅を使っているわけだが、踏切のある近くに住んでいる。そして、この踏切は世田谷代田の駅から少なくとも2キロ程度離れた世田谷線の踏切である。そう、こんな遠くに住むことは東京ではあり得ない。つまり、脚本の中で踏切のシーンというのが大きなインパクトがあるのだろう。そして、この周辺の小田急線からは踏切が消えてしまったのでこういう感じになったということ。まあ、全てがフィクションなのだから問題ないし、この踏切の情景は結構重要な感じがする。ロケ地の決定にもこだわりを持ってスタッフもがこのドラマを構築していることはよくわかる。そう、情景が印象的なドラマはやはり脳裏に残る。

ラスト前、皆の心はそれぞれに新しい道を歩もうとしているが、すごくもどかしい感情が残っている心象がうまく描かれていたと思う。特に歩幅を早くするでなく・・・。ラストに向かう話の成り行きを、視聴者はただ待つだけである。


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