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「レイニーディ・イン・ニューヨーク」ウッディ・アレンらしい雨のニューヨークの人生論

久々にウッディ・アレンの映画を見た。相変わらず、彼の映画である。だから素敵である。とはいえ、昔から彼の映画を観ると、英語が理解しきれない自分にイライラする。会話劇の中に放り込もうとする気持ちはわかるのだが、それはニューヨーカーの気持ちなのでよくわからないというところ。

だが、やはりナイーブな映像にナイーブな心がちゃんと映っている。少しラストは「そうなんだ!」と思わせたが、それでいいのだろうねというラストのキスは熱い。

ニューヨークの1日の話である。それにしても、主役の二人が過ごすその1日は中身が濃い。そして、レイニーディというタイトルではあるが、雨が降ったり止んだり。それは、人の心の変化を見せているようでもある。

二人が1日、街を彷徨って、予定の待ち合わせができないという話なのだが、若い二人のそれぞれの行動は、かなり奇抜で映画的。映画の世界、スターの世界、ギャンブルの世界、美術館、パーティーなどを見せながらも、ニューヨークが観客にも楽しめる感じで良い。こういう題材で観光映画もありですね。

主役のティモシー・シャラメは、この間見た「ストーリー・オブ・マイライフ」での美男ぶりとは違って、少しいろいろと精神的に病んでいる役(ウッディ・アレンの映画の主役だから当たり前か)。それはそれで、また違ったいい男で全編を飾っている。「ストーリー〜」で彼に惚れた人は、絶対に観るべき映画だ。

その恋人を演じるエル・ファニングも、監督が好きそうな雰囲気の娘である。そして、わらしべ長者のように、監督の会見からスターとベッドインにまで至ろうか?という役にはぴったりの田舎娘を演じている。

そう、全ての出演者が、ウッディ・アレンの映画の道具として機能している。少し斜めからのセリフは、それなりの役者が自然に演じないとおかしくなるのだが、そういうのが本当に普通になって世界を構築しているウッディの映画はやはり、彼だけのものであり、今回また「スキ!」と言わざるを得なかった。ちょっと、曲がった人生観の僕には、こういう映画が撮りたいと思うところがあるけど、日本でこれをやると、すごく変な映画になってしまうなと思ってから長い年月が経った。だが、アフター・コロナでは、日本のみんなが自分勝手に動くことも想定され、個々の偏屈な心理もそれなりに受け入れられる世の中になるなら、似たようなものは作れるのか?と少し思ったりもした。みんながマスクしてる日本での恋愛劇も面白いだがですよね…、多分。

ラストのまとめの、主人公のお母さんの話は、実に重く、そしてこの映画をまとめるにふさわしいお話だった。そう、みんな、真っ直ぐに生きていて成功するわけではない。そして、長い人生、運と縁だけに任せてもいいことない気もする。でも、好きな娘と無心にキスできれば人生は良い感じもする。

現在のニューヨークでは、この映画は撮れないだろう。早く、こんな普通だけど、アグレッシブな街に戻るといいですよね。


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