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「カモン カモン」子供の深層心理には、さまざまな気づきがあり、未来の形は彼らに聞いた方が早い?

ホアキン・フェニックス、「ジョーカー」の後に選んだ作品として語れば、現代のまた違ったアメリカの顔を表現することに挑戦したというふうにも見える。A24作品で、あまりお金もかかっていないだろうし、特に変わったこともしていない。まあ、モノクロ映画というところは、変わっているのだろうが。正直言って、似たようなシーンが続くので、中盤、眠気が襲ってきた。映画館で私の列の端にいた人は、最近では珍しく、中盤すぎに席を立って帰ってしまった。ポップコーン食べてたから、やはりつまらなくて帰ったんだろうと思われる。

そう、面白いか?と他人に聞かれると、なかなか「ぜひ見た方がいいよ」とは言いにくい映画ではある。でも、ラジオディレクターのホアキンが、仕事として、さまざまな都市で子供たちにインタビューするところや、その内容は、現代のアメリカの世界の問題点みたいなものをさまざまに炙り出しているし、そんなドキュメントタッチのところに、甥っ子との短い共同生活を描いていくというのは、それなりに面白かった。そして、ホアキンと甥っ子を演じるウディ・ノーマンの二人の笑顔が印象的。ウディは、少し変わった男の子という役を実にみずみずしく演じているし、彼のような男の子は世界中にいっぱいいるだろう。そういう意味では、これ日本語吹き替えで多くの日本の子供たちにも見てもらいたい作品ではある。多分、何か感じる部分があるはず。

そして、ホアキン側からしたら、彼に出会って、人生を振り返るような時間をそこに待っている。子供の心が読みキレないところは、彼は社会的にまだ熟成されていない部分を浮かび上がらせるということだ。甥っ子の気まぐれが、彼の波長を狂わせていったりするわけだが、そこで考えてチューニングしてみれば、それは自分の不具合だったりする。

最初に彼らがあった時、ウディは大音量でステレオを鳴らしている。音というものは、人の心にすごく影響を与えるし、大音響は、何か生きていく上で消したいものがある時には、実に効果的ではある。そう、この出会いのシーンは、波長があわないで、ホアキンがウディをノイジーに感じていることがよく表現されているシーンだったと思う。

あと、印象的なのは、音が出る電動歯磨きを欲しがり、ウディがいなくなるところ。そして、トイレに行きたいと車の中でウディが嘘をつくところなど、子供の波長が少し大人のそれとあっていないみたいなところをうまく映像表現として見せていたとは思う。

だからこそ、最後に二人が別れる前に、一緒に叫んだりするのは効果的であったりする。ここで、二人は人間として呼応できているということだ。

確かにモノクロ映画でなかったら、かなり印象が変わる映画ではあると思う。ここでのそれは、少し赤みがかったモノクロなので、昨日見た「パリ13区」のそれとは随分趣が変わっていた。「パリ13区」のそれは、濃い黒の中に庶民の世界の暗いものを表現したいような白黒だった。そうなのだ、今は、白黒映画と言っても、表現としていろんな階調の画が作れるわけで、全編で階調を変えながら白黒映画を作ってみたらどうなるか?そんなことを考えさせられた2本だった。あと、この映画のカラー版も見てみたいと思った。かなり印象が変わるはずだ。

ラストクレジットで、再度、子供たちのインタビューの声が入ってくる。そう、この映画は、未来の子どもたちへ送られたものなのだろう。そんな映画の中で、私たちはホアキンにシンクロしながら人生とはなにか?未来とはなにか?を考えさせられる。「ジョーカー」をみて、シンクロした部分とは全く真逆?の世界だが、ホアキン・フェニックスの映画に色々と考えさせられていることは同じということなのだろう。



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