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「あの頃、文芸坐で」【82】007を劇場でまとめて観る贅沢さ

1982年6月30日から文芸坐の007大会に通う。この時の6プログラムのうち5プログラムに通っている。しかし2日〜3日で代わるプログラムによく通ったものだ。つまり、大学など二の次だったのだろう。最初に行ったのが30日、その前の26日には、歌舞伎町の新宿座で小林旭5本立てオールナイトに行っている。「海から来た流れ者」「大暴れ風来坊」「口笛が流れる港町」「渡り鳥いつまた帰る」「渡り鳥北へ帰る」である。この辺をまとめてみると、朝、帰る時には話が混じっていた感じ。まあ、いまだにビデオでこの辺りの旭の映画を見ても、全く区別がつかないから、この時はさらにそんな感じだったのだろう。そして、見たフィルムは、見事にみんな赤ちゃけたものだったのは記憶している。

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まずはコラム、夏の企画のお知らせ。SF大会はいつも人が入っていた覚えがあります。橋本以蔵監督「ISAMI」もこの頃楽しみにしていたと思う。心残りは、当時、あまり興味のなかった「浅川マキ」のライブを見られなかったことでしょうな。

プログラムは、文芸坐は、007特集の後は「喜劇映画セレクション」新しめの喜劇特集ですね。この中でゴールディ・ホーン主演の2本は見に行ってますね。文芸地下は、ロマンポルノ特集を見て思うのだが、この中で「ラブレター」以外はあまり観る機会がない作品ばかりですね。有名人が出てたり、変わった監督がやったりしても、ロマンポルノって面白くならなかったりするんですよ。そこがまた面白い。オールナイトは、増村保造が追加。これも、私は通って、彼の凄さを見せつけられた。それはまた後日。

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このプログラムは4枚持っている。その三枚はこの007特集でもらったもののようだ。今回は、その6本の007に関して一気に語る。

6/30に、一作目、二作目を観る
「007は殺しの番号」
あえて、この最初の上映時のタイトルで上映するというのは大事なところ。再映で「ドクターノオ」と表記するのが当たり前となったが、007上陸時にはこの名前だからこそ客が入ったと言っていいのだろう。そして、ショーン・コネリーがやはり私には一番007らしい。冷戦時のアメリカの月ロケットの発射を妨害する話である。この映画、作られたのは1962年。本当の月着陸の7年前。月着陸が実現可能な夢物語としてあったというバックボーンでの007登場は公開当時もなかなか興奮させられたのだろう

「007/危機一髪」
これも、もうこの題名ではわからない人も多い作品「ロシアより愛を込めて」の方が有名だし、題名としても格好いい。そして、この作品はシリーズの中でも、傑作としてファンは多い。ボンドガールであるダニエラ・ビアンキの美しさは、「こんな女スパイ」なら騙されてもいいと思わせるし、007のアクションシーンも見どころ多し。私も一番好きな007かもしれない

7/1に三作目、四作目
「007/ゴールドフィンガー」
シャーリー・バッシーの歌と、金粉を塗った女が窒息死することで、子供の頃に記憶された1本。プロレスラー、ハロルド坂田が出ていたのも印象的だった。金にまつわる話。ある意味、007のシリーズ人気を決定づけた作品なのかもしれない

「007/サンダーボール作戦」
水中アクションというのは覚えている。それと、後に「パリの哀愁」で沢田研二と共演した クローディーヌ・オージェがボンドガールというのも記憶に残る一本。

そして、7/3は9作目と10作目
8作目からのボンドは「ロジャー・ムーア」かなり映画の臭いみたいなものは変わった。

「007/黄金銃を持つ男」
相手役がクリストファー・リーなのが印象的。舞台を香港、中国に持って行ったのはブルース・リーの映画のヒットもあるのか?シリーズの中では小粒な一本

「007/私を愛したスパイ」
ロジャー・ムーアの007の中では一番面白いだろう。まだまだ冷戦が続く中、その双方を攻撃して世界征服を狙う話。今で言えば大いなるテロリストだ。ボンドガールのバーバラ・バックも印象的だった。

007は、いまだに人気シリーズとして続けているが、最初の冷戦構造というものがあって、スパイ戦がスリリングだった気はする。そして、ショーンコネリーやロジャームーアは色気的なものでも現在とは随分違う価値観の中にあった気がする。そのシリーズも今年で始まって60年立つわけだ。こんなに長いシリーズになるとは、誰も思わなかったでしょうな。

しかし、今じゃ、このシリーズをスクリーンでまとめて観るなどという行為はまずできないだろうから、貴重な経験だったということなのだろうと思う。でも、この時に傑作「女王陛下の007」は見ていないのですよね。


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