「彼女はキレイだった(第3話)」キャラを交錯させるうまさは、韓流脚本の醍醐味?
前回の最後の小芝の酔っ払っての告白は、一緒にいた赤楚衛二の機転により、中島には伝わっていなかったようで、こういう風に、視聴者が思うことを少しずらしていく様は、脚本的にはすごくうまい。多分、こういう部分はネタとしている韓流ドラマのままなのだと思う。
赤楚が佐久間由依と知り合って、佐久間が赤楚を婚約者にしようとするというのも、ドラマ展開としてはスリリングな話なのだが、これも最後にはうまくいかないシナリオ。色々と近い距離にいる4人が、上手い具合にすれ違う感じはお見事。こういうのは、昔の日本映画にも多くあった脚本なのですが、昨今の日本のシナリオは、うまくできないところでもある。
多分、韓国のドラマ作りは俯瞰してドラマを認識して、キャラの動かし方から、うまく設計図を作るところから始まっている気がする。それに対し、日本のドラマは、線でキャラをつなげていく感じだから、行き当たりばったり感が強い。この辺り、漫画原作だと、日本のシナリオもそれなりにできている感じもある。つまり、ストーリー作成の煮詰め方と、それをどう連続ドラマとして面白く見せていくか?という仕込みの差なのだろう。昨今の韓国は、ハリウッドから学び、グローバルに売れるドラマを意識している感が強い。この辺りが日本に最もかけているところなのだとも思う。とにかく、このドラマ、悔しいかな、そういう部分の差を見せつけられている。
先週の中島の小芝への批判から一夜明けて、少し中島が小芝に対し言いすぎたという感じで対応してくる。そして、小芝の仕事をみて気にするようになることで、ドラマが進んでいく。小芝も子供の時の思い出のパズルを見つけたり、徐々に2人が過去の時間に引きずられていくような感じ。そんな中で、小芝が一人で雑誌の廃刊の話を聞いてしまうことで、ドラマのギアが変わってくる。
そこに、赤楚と佐久間は、介入する二人の触媒でしかないのだが、今はメインの恋心のステージにいるところが面白いところである。そして、今回のラストを見る限り、二人が過去の位置に戻るのはそんなに遠いことではないような感じになってきた。
しかし、小芝風花の、動きの多い芝居は実に見ていて心地よい。本当にこの人は運動神経が良いという印象。まあ、フィギュアスケーターだった過去が生きている。本多力や片瀬那奈らが、そこにもっと呼応してドラマを盛り上げればいいのにと思うのだが、その辺りがうまく行っていない。というか、演出でもっと盛り上がるのに、演出家がもう一歩踏み込んで行かない感じなのだろう。宇垣美里の芝居など、もう少しなんとかならないのか?と思いますしね。脚本家の力が強いのがテレビドラマではあるのだろうが、演出でもっと視聴者に訴えていかないと、韓国には勝てない感じになってしまってますよね。
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