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きっと、メロンフラペチーノを作っている


いや、まじであの頃の俺は結構頑張っていた。多分人生で一番輝いていた。一番かっこよかった四年間。

自分が大学生活のすべてを捧げ、全ての感情を注いだスターバックスについて、書いてみようと思う。

きっとこの話は長くなるから、先に言っておくね。
でも本当にそれくらい本気でやっていたんだ。
そして、ずっと書いてみたかったことでもある。

マンゴーパッションティーフラペチーノにはホイップが乗らない

高校生の頃、スタバで働いてみたいと思っていた。それまで2回か3回かしかいったことなかったけど、メニューも全然知らなかったけど、マンゴーパッションティーフラペチーノにはホイップが乗らないことを知らなかったけど、

でも大学生になったら「スタバでバイトしてます」って言ってみたかった。普通にそうやって言ってモテたかった。

大学が決まって、さあ、いざ行かんと片っ端から採用情報を調べて、意気揚々に面接を受けた。昔からそれっぽいことを言うことだけは自信があったから、沢山働いている人がいるから、多分受かるだろうと思ってみなとみらいの某店舗を受けた。そのころにはもう自分はスタバ店員だと思い込んでいた。

でも待てど暮らせど返事がなく、俺はフツーーに落ちた。スタバでバイトしたいだけのやつに戻ってしまった。

後日オープニングスタッフを募集してる店舗があって、これならと思って応募したけど、書類で落とされた。結構ショックだった。

俺ん家の犬と仲が良かった犬の飼い主さんの娘さん

自分の、今思えばしょうもないプライドが傷つき、もう二度とスタバでバイトしたいなんて思わないと誓った矢先、俺ん家の犬と仲が良かった犬の飼い主さんの紹介で、俺ん家の犬と仲が良かった犬の飼い主さんの娘さんが働くお店で面接を受けさせて貰うことになった。

あんまり感触が良くなくて、連絡もなくて、ダメだったかな〜と思ってあまり気にしていなかったら、受かってた。採用された。

ついにスターバックスという名の、今思えばデカすぎる門扉を開けてしまった時だった。

扉をあけたあとの話

お店は、もう今となってはどこの店舗かバレてもなんも問題ないし(多分)、結構大っぴらにしてたから今更隠すこともないんだけど、東京の結構大きな店舗だった。旅行とかで他県に行っても、あぁ、あの2階にあるスタバ?ってくらいのまあまあの知名度はあった。

自分と合わせて同期が3人いた。初出勤の時は今でも覚えているし、今でも同期とこの話で盛り上がる。
後でまた触れるけど、この同期を含めて、俺は本当に仲間に恵まれた。最初から最後まで、先輩も後輩も同い年も同期も、そしてお客さんまでも。恵まれ続けた、(あとは周りに普通にモテた)だからこそ続けられた四年間だった。

でも、そんな四年間がずっと恵まれて順風満帆で幸せな気持ちだったかと言えば決してそうではなく。むしろ辛かった思い出の方が数多にあり、より強く覚えている事だった。

スタバでまず躓くことってさ

スタバでまず躓くことってさ、やっぱり覚えることの多さなんだよ。サイズによって変わるドリンクのレシピはもちろんのこと、コーヒーの知識、用語、器具の使い方、資材の置き場所、食品の使用期限、締め作業、レジのボタンひとつから、スコーンとかクッキーとか、サンドイッチの温めとか。

想像の二億倍は覚えることが多かった。

あと、その手の実践的なセンスがなかった俺は本当に苦労した。覚えるのに時間かかったし、頭では覚えられても、やり方が下手だった。それなのに、周りはどんどん上手くなっていくし、けれども自分はうまく出来なくて、先輩に申し訳なくて、同期を見て悔しい気持ちになって、毎日ほんとにしんどい思いをたくさんした。

でも途中で投げ出したりはしないて決めてたから、辞めようと思ったことは一度もなかったし、辛いことはたくさんあっても、無駄なことは何一つなかった。

(まるで最後は成長したみたいな言い方だけど、俺は多分最後までセンスはなかった。後輩の方が全然仕事できたと思う。)

ひたすらシフトに入り続けた

人ってよくできていて、ある程度粘り強く物事を続けていると、不思議と出来ることが増えたり、仕組みが何となくわかったりする。

それに関しては俺も一緒で、上手に出来ない分人より長くシフトに入ったりするうちにだんだんコツがつかめて、忙しいお店中でようやくうまく立ち回れるようになってきた。

後輩もできたりして、仕事も楽しく思えるようになってきた。

そのころから俺はとにかくシフトに入りまくった。一日8時間半、週5とかも平気で入ったり、4時起きの朝番も、忙しい中番も、深夜の一時に家に着くクローズも、とにかく何でもこなした。

お客さんも多くて常に忙しい店舗だったから、暇を感じて余計なことを考えずに済んだことも長く続けられた秘訣かもしれないけど、何より自分には、また明日も一緒に働きたいと思えるたくさんの先輩や後輩や同期がいた。

スタバって、同じ店舗はもちろんのこと、その垣根を越えて、スターバックスで働く人のことをパートナーって言うんだよ。だからここでもその言葉を使うね。


文字通り戦っていた時の話と四年間

毎日毎日スタバという空間に朝のコーヒーと昼過ぎのカフェインと放課後のフラペチーノと休日のデートの休憩を求めにやって来る大量の人々を捌いて、パートナーとお客さんのたくさんの素敵な関わりがあって、高い期待に応えなければいけなかったり、いろんなトラブルや失敗もして、時にはクソみたいな客と格闘したり(往来の激しい店舗はどうしても客層が落ちがちなのだ)

大げさかもしれないけど、あの頃の俺たちは、全員が、文字通り”戦っていた”

俺も四年間、マジで力と時間の限りを尽くした。魂を燃やした。

お正月も、春休みも、GWも、夏休みも、ハロウィンも、クリスマスも、雨の日も風の日も、台風の日も台風の次の日も(普通に年中無休だった)さすがにコロナの時は暇だったけどね。

何百回も失敗して、何十回も悔しい思いをして、何回か泣いた。そしてそれと同じくらい楽しい経験をして、みんなで遊んだり飲みに行って、たくさん笑った。

ヘルプでいろんなお店に行って、たくさん友達ができた。同じパートナーとして、全然違う店舗でも仲良くしてくれる人がたくさんいた。

親しい友人にはたくさん相談に乗ってもらったり、締め作業でどれだけ帰りが遅くなっても家族はご飯を準備してくれていた。たくさんの友達がお店に遊びに来てくれた。こんなに嬉しいことはないね。

すべての感情が詰まった、そして風のように速く駆けていった四年間だった。

自分からスタバを取ったら何が残るのだろう(自分からスタバがなくなった今、何が残っているだろう)

ずっとそんな気持ちの中で最後の一ヵ月を過ごした。(ずっとそんな気持ちの中で過ごしている。)

こうして大学と同じくして卒業したあのスターバックスでは今も、自分の後輩たちが頑張っていて、きっとみんなで戦っている。きっと今頃メロンオブメロンフラペチーノを作っている。

その事実が、今の自分には本当に羨ましく映り、あの頃に戻りたいとも思わせる。(だからあまりスタバには立ち寄らないようにしている)(てか割引がないと普通に高い)

自分が間違いなく人生で一番頑張っていたときの話。

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