僕と君の世界_-_その2

【欅坂46】楽曲に登場する『僕』は3年の時を経てどのように成長したのか。「僕と君の世界」を歌詞から考察してみた - 後編

前回に引き続き、欅坂46の楽曲に一貫して登場する”僕”が主人公の「僕と君の世界」の物語を考察していきたいと思います。
前篇をまだお読みになられていない方は、以下リンクからどうぞ!

この考察を読む前に注意書きです。

※これから書いていく歌詞解釈は、筆者と友人で欅坂46が伝えようとしている『僕』の物語をイマジネーションの翼を羽ばたかせながら解釈したものです。

※人によっては「ここはこうだと思う!」といった意見が生まれると思いますが、そうなった時はコメントやTwitterで教えて下さい。一緒に考えます。

※私達が解釈した『僕』の物語は正解ではありません。あくまで1つの解釈としてお楽しみ下さい。

そして簡単に”僕”と”君”の概念をおさらいすると、以下のような図になります。
今回も楽曲毎に説明するので安心して下さい。

僕と君の解釈

それでは早速いきましょう!!

-

つよがり「風に吹かれても」

風に吹かれても

5thシングルの「風に吹かれても」は、「二人セゾン」〜「君をもう探さない」までの経験を通して、”僕A”が「風まかせで生きるのもいいかも」と諦めているように聞こえる曲になります。

風に吹かれてもでは、曲を通して「That’s the way」という言葉が出てきます。「それも1つの生き方だよね」という意味であり、今まで抵抗していた「マジョリティーの生き方」のことを指しています。

そんな生き方も 悪くはないんじゃない?(that’s way)
出典 : 「風に吹かれても」 作詞 / 秋元康

夢を追い求めることに疲れた”僕A”は、「マジョリティーの生き方」を肯定して自身の今の諦めた姿を肯定しようとしています。

風に吹かれても 何も始まらない(that’s way)
ただどこか運ばれるだけ(that’s way)

出典 : 「風に吹かれても」 作詞 / 秋元康

自身の諦めた姿を肯定しようと努力はしているものの、根底にある「僕らしく生きる自由」を求める意志が邪魔をして、「意志を消して風に吹かれているだけでは何も始まらない」という考え方は無くなりません。

そんな「諦め」に見せようとする「強がり」とそこから生まれる「葛藤」で足元がおぼつかない、そんな”僕A”を表現していると思います。

-

「避雷針」

画像3

※結構大事なので長くなります!

5thシングル「風に吹かれても」のカップリング曲である「避雷針」は、「君をもう探さない」と同様に”僕B”が主人公となる曲です。
歌詞にある”僕”は”僕B”のことであり、”君”は”僕A”のことを指しています。
そしてこの曲では、”僕A”と”僕B”が対話し、”僕B”が決意をする曲になります。

古着が好きなのは 知らない誰かになって
本当の自分隠して演じてみたいだけ
今日の生き方も誰かのお古なのか
どうせまたフリマ行き

出典 : 「避雷針」 作詞 / 秋元康

“僕B”は、”僕A”の「そんな生き方も悪くはないんじゃない?」と「僕らしく生きる自由」とは違う生き方を肯定して安心しようとする姿に対して、「ただ誰かの真似をして自分を押し殺しているだけじゃん」と一蹴します。

君が気になってしまうよ
Ah 面倒くさいその存在
だって誰も理解できない
ネガティブ ネガティブ ネガティブ
暗い目をしている

そんな不器用さを守るには 僕がその盾になるしかない
世の中の常識に傷つくのなら 君の代わりに僕が炎上してやるさ
いつだってそばで立っててやるよ
悪意からの避雷針

出典 : 「避雷針」 作詞 / 秋元康

一蹴しているにも関わらず、結局”僕B”は”僕A”が気になってしまう。
なぜなら”僕A”と”僕B”は一人の人間であり”僕”であるから。。

成長によって生まれた”僕B”は、”僕A”と比較して少し大人な一面を持っています。
この1サビは、「不器用な君をいつでもそばで支えてやるよ」という”僕B”の強い意志を感じ取れる歌詞になっており、1サビ以降で”僕A”がちらちらと現れます。

一人が楽なのは話さなくていいから
わかってもらおうなんて努力もいらないし
何も関わらず 存在知られたくない
フェードアウトしたくなる

出典 : 「避雷針」 作詞 / 秋元康

「風に吹かれても」で諦めた”僕A”は、なげやりな意見をここで露呈します。
まるで「君をもう探さない」の”生きたくない”に近いような、すごくネガティブで暗い意見です。

それに対して”僕B”は、

それでもいいけど それでも息をして
それでも生きてるし
いくつの扉を閉めたり鍵を掛けて
引きこもってじっとして ただ儚すぎるこの若さ萎れるまで
使いきれず持て余す時間
過保護な夢を殺すだけだ

出典 : 「避雷針」 作詞 / 秋元康

“僕A”が持つ「僕らしく生きる自由」というサイレントマジョリティーの時に抱いた”夢”を、”過保護な夢”と強く表現して「現実見ろよ」と伝えるとともに、「でも生きてるんだから現実見て傷つきながらでも逞しく進もうよ」と、”僕A”に現実を直視して成長して欲しいという期待を寄せていると思います。

いつだって味方だ
信じることは裏切られること
心を開くことは傷つくこと
落雷のような悲しみに打たれないように

僕はどっち側にいるの?
Ah 扱いにくいその価値観
だからきっと目が離せない
ポジティブ ポジティブ ポジティブ
君は君のままで

出典 : 「避雷針」 作詞 / 秋元康

それぞれのかたまりが、”僕A”と”僕B”の対話形式になっている重要な部分です。
「いつだって味方だ」という”僕B”のセリフの答えとして「傷つきたくない」という回答する”僕A”の描写と、「君は君のままで」と”僕A”を擁護する”僕B”の描写になります。

特に後ろのかたまりが大事です。
「僕はどっち側にいるの?」という”どっち側”ですが、私達の解釈では「サイレントなマジョリティー側と僕らしく生きるマイノリティ側」の2種類になります。

今まで”僕A”は、”僕らしく生きるマイノリティ側”になろうと必死でした。
しかし”僕B”は、その「自分がどっち側なのか」という判断を「扱いにくい価値観」とし、ある意味「君は君のままでポジティブに生きてくれればいい」と”僕A”をなだめます。

どんな理不尽だって許容できるさ
気配を消して支える
重箱の隅を突かれたって
僕が相手になってやる
平凡な日々を今約束しよう
ここにあるのは 愛の避雷針

出典 : 「避雷針」 作詞 / 秋元康

最後のサビですが、“僕B”の強い意志を感じ取れる部分になります。
「君なら傷ついても大丈夫、僕がいつでもそばで支えるから。君の悲しみは全て僕が受け止めるよ。」という”僕B”の優しく、まるで保護者のような一面が見て取れます。

そしてここにある「気配を消して」という言葉の通り、この後の物語ではしばらく”僕B”が登場する描写はなくなります。

-

懐古「もう森へ帰ろうか?」

もう森へ帰ろうか?

6thシングル「ガラスを割れ!」のカップリング曲である「もう森へ帰ろうか?」ですが、”僕A”が主となる楽曲になります。
また”君”という言葉は登場しません。

風の噂に洗脳されて(洗脳されて)
存在しない夢を見ていたんだ

出典 : 「もう森へ帰ろうか?」 作詞 / 秋元康
僕たちのユートピアは現実逃避だった
出典 : 「もう森へ帰ろうか?」 作詞 / 秋元康

「サイレントマジョリティー」から追い求めていた”僕らしく生きる自由”ですが、「風に吹かれても」で”僕A”は諦めへと転じます。
ユートピア=夢を追い求める行為であり、サイレントマジョリティーから必死に駆け抜けてきたことは全て現実逃避だったんだと。

自分はどこにいる?
空の太陽よ 教えてくれ

出典 : 「もう森へ帰ろうか?」 作詞 / 秋元康

「世界には愛しかない」では”太陽”を”決意”と捉えていますが、ここの”太陽”も似たようなものであると解釈しています。
“太陽”を信じて必死に駆け抜けてきたが、気付いたら自分がどこにいるかわからない。

ここから(ここから)
振り返れば(振り返れば)
輝いている(故郷よ)
あの森こそ(ユートピア)

出典 : 「もう森へ帰ろうか?」 作詞 / 秋元康

夢を追い求める前の自分がいたあの時代を懐古し、「この夢に気付かない前に戻れたら...」と懐古する”僕A”の気持ちが痛いほど伝わってきます。
「もう森へ帰ろうか?」は、”僕A”がもうどうしたらいいのかわからない八方塞がりの状態を表現している楽曲だと解釈しています。

-

自戒「ガラスを割れ!」

ガラスを割れ!

6th「ガラスを割れ!」は、歌詞の内容が1st「サイレントマジョリティー」とほとんど同じ内容になっています。
またこの曲の歌詞では、登場人物が「僕」でも「君」でもなく「俺たち」となっており、他の曲とは全く違うことがわかると思います。

では一体なぜ「俺たち」なのか。歌詞の内容が深く関わっています。

「サイレントマジョリティー」で”僕らしく生きる自由”を夢とし、その夢を追い求めていた”僕A”は大人への不信や「二人セゾン」での出会いと別れ、「不協和音」での他者との衝突といったように様々な経験を積んで成長をしていきます。
しかし「風に吹かれても」や「もう森へ帰ろうか?」では追い求めていた”夢”は正しかったのか、自身が突き進んできた道に疑心暗鬼になってしまいます。

ここで登場するのが「二人セゾン」の”君”です。
この”君”は物理的な第三者としての”君”であり、”僕”に対して様々な価値観と別れという経験を与えてくれた重要な存在になります。

「ガラスを割れ!」は、成長した結果自信を無くしてしまった”僕A”が

「こんな”僕”を見たら”君”は何て言うかな。」

という妄想で”君”の言いそうな言葉を作り上げ、”僕”を”俺たち”という強い言葉に変換し、「サイレントマジョリティー」でのメッセージを改めて僕自身に言い聞かせている、自己を奮闘させている曲だと私達は解釈しています。

夢見るなら愚かになれ
傷つかなくちゃ本物じゃないよ

出典 : 「ガラスを割れ!」 作詞 / 秋元康

こちらの「傷つかなくちゃ本物じゃない」というフレーズですが、過去にも似たような歌詞が出てきていました。

僕はもう守らない 過保護すぎちゃいけない
なにかに傷つかなくちゃ 自由は口先だけさ

出典 : 「君をもう探さない」 作詞 / 秋元康

“僕B”の言葉としての曲である「君をもう探さない」の歌詞の中に上記の歌詞があります。この歌詞は夢を追いかけている”僕A”の姿を見て言った”僕B”の言葉になります。
ガラスを割れでは、”僕A”が”僕A自身”に「日和見主義のその群れ」や「犬」といった、不協和音で言う「軍門」サイレントマジョリティーで言う「群れ」と繋がる強い言葉で自戒していると解釈しています。

-

葛藤「アンビバレント」

アンビバレント

7thシングル「アンビバレント」は、「ガラスを割れ!」で「サイレントマジョリティー」での決意を自戒した結果、どうしていいのかわからない状態になってしまい葛藤する「僕A」を表した曲です。

「サイレントマジョリティー」では決意してすぐに「世界には愛しかない」へと前進したのに、なぜ「ガラスを割れ!」の後は「アンビバレント」で立ち止まるのか。
それは”僕A”の成長が鍵となっています。

「世界には愛しかない」で決意を前進させた”僕A”は、二人セゾンで物理的な”君”から新たな価値観を手に入れ確実に成長しています。夢を追い”青空”を見続けた”僕A”は挫折や対立、そして孤独と、今まで体験したことのない出来事を経験し、「サイレントマジョリティー」の頃の”僕A”には戻れないほどに成長を遂げています。

だからこそ、前に進めなくなっているのです。
成長の過程で手に入れた価値観や経験が邪魔をして、「本当は夢を追い続けたい!けど...」と二律背反な感情が”僕A”の中で渦を巻き、葛藤を繰り返すのです。

Blah blah (hey!) blah blah (hey!)
孤独なまま生きて行きたい
Blah blah (hey!) blah blah (hey!)
だけど1人じゃ生きられない

出典 : 「アンビバレント」 作詞 / 秋元康
ずっと自分だけの世界に
引きこもっていたいのに
青空の下で
まだ無理をしなきゃいけないか?

出典 : 「アンビバレント」 作詞 / 秋元康

「夢を見ることは時には孤独にもなる」という言葉を”僕A”は知っていたが、実際に孤独になってみると何かが違う。
「一人が楽なのは話さなくていいから」と、本当は夢を諦めて自分だけの世界にいたい。
だけどそれは本当の自由ではないんじゃないか?と「ガラスを割れ!」で自戒した”僕A”のその後の葛藤が見て取れます。

1人になりたいなりたくない Oh yeah
だけど孤独になりたくない
どうすればいいんだ?

出典 : 「アンビバレント」 作詞 / 秋元康

そしてこの曲中では、”僕A”の結論は出ません。
結局どうすればいいのか決めきれず、「どうすればいんだ?」と自問自答してこの曲は終わります。

-

部外者「I’m out」

画像7

7thシングル「アンビバレント」のカップリング曲である「I’m out」は、”僕A”が主体となる曲になります。
「サイレントマジョリティー」から追い続けていた”僕が僕らしく生きる自由”、サイレントなマジョリティーになりたくない、マイノリティーな特別な存在でいたいという”僕A”でしたが、「アンビバレント」で葛藤した結果、自分はそういった存在になれないということを自覚してしまいます。

Blues 錆びついたフェンス 掴んだ指先
真っ赤な血の匂いがするよ
Truth 隙間から見てたはるか遠い夢
部外者は立入禁止だと notice

出典 : 「I’m out」 作詞 / 秋元康

ここの箇所でわかるように、”僕A”は自身を”部外者”と表現しています。
フェンスの向こう側には”僕A”が目指した”僕が僕らしく生きる自由”を手に入れた人たちがいる。しかし、向こう側とこちら側を隔てるフェンスには、”僕A”のようにそれを追い求めてもがいた人たちの血がこびり付いている。
そんな生々しい描写がここから伝わってきます。

追い返された
(誰が何の権限で僕たちの未来取り上げてしまうのか?)
唾を吐いて
中指を立てる

出典 : 「I’m out」 作詞 / 秋元康
噛んでたガムを
金網につけ
向こうの景色
見れなくしたよ
叶わない
希望なんか
ここに捨てて行こう

出典 : 「I’m out」 作詞 / 秋元康

そんな認めたくもない現実に対して中指を立て、フェンスの隙間をガムで埋めて理想の姿を見えないようにし、”僕が僕らしく生きる自由”というものを捨ててしまう”僕A”。

天の声が聴こえるよ
生きる価値もないのなら
That’s all! I’m out

出典 : 「I’m out」 作詞 / 秋元康

「君をもう探さない」の最後での”僕A”の嘆きと共通しているのですが、”僕が僕らしく生きられないのであれば生きたくない”という解釈ができる箇所になります。
“生きる価値もない”と結論を出した”僕A”は一体どうなるのか。
「黒い羊」へと進みます。

-

存在の証明「黒い羊」

黒い羊

8thシングル「黒い羊」。
こちらの曲は、後悔と決意といった様々な感情が渦巻く”僕Aの”最後の登場となる曲になります。

”黒い羊”とはなんなのか。
羊飼いの中で商品価値の無い黒い毛を持つ羊を「やっかいもの」として扱われたことから、”Black Seep(黒い羊)”は人間のコミュニティの中での「厄介者」「のけ者」「変わり者」「見捨てられた者」を指す英語のイディオムとなります。
また人間は集団の中で1人の人間を”黒い羊(のけ者)”にすることで、白い羊たちは精神的な安心を得ることができるという話も聞いたことがあります。

誰かがため息をついた
そうそれが本当の声だろう

出典 : 「黒い羊」 作詞 / 秋元康

誰もが”黒い羊”の要素を持っている、誰もが”僕A”のような理想を追い求めたいとする感情をどこかに抱きながら生きているんでしょ?という言葉として私達は解釈しています。

そんな”黒い羊”を自身の中に隠し持ちながら、偽って生きていくことはしたくない”僕A”は、「サイレントマジョリティー」からずっと”黒い羊”の一面を全面に出して必死に生きてきました。

人生の大半は思うようにはいかない
納得できないことばかりだし諦めろと諭されてたけど
それならやっぱ納得なんかしないままその度に何度も唾を吐いて
噛み付いちゃいけませんか?

出典 : 「黒い羊」 作詞 / 秋元康

“僕は嫌だ”と理不尽なことに抵抗していた過去の”僕A”、理想の自分になりたいからこそ”白い羊”になりたくないと抵抗していた”僕A”の心象が伺えます。

No, no, no, no
全部 僕のせいだ

出典 : 「黒い羊」 作詞 / 秋元康

ここの箇所で「違う。“部外者”となってしまったのは全て自分の責任だったんだ。」と、ここで”僕A”は気付きます。

白い羊なんて僕は絶対になりたくないんだ
そうなった瞬間に僕は僕じゃなくなってしまうよ
まわりと違うそのことで誰かに迷惑かけたか?

出典 : 「黒い羊」 作詞 / 秋元康

しかしやはり諦めきれない”僕A”は、こちらの箇所である意味の開き直りを見せます。
誰かに迷惑をかけたわけではない、”僕が僕らしく生きる自由”を追い求められないのであれば、それはもう”僕”ではない、という強烈な意志を元に次の行動を決意します。

Oh 自らの真実を捨て 白い羊のふりをする者よ
黒い羊を見つけ指をさして笑うのか?
それなら僕はいつだって それでも僕はいつだって
ここで悪目立ちしてよう

出典 : 「黒い羊」 作詞 / 秋元康

ここでの”悪目立ち”とは一体なんなのか。
私達は、”僕A”の精神的な死と解釈しています。

“僕が僕らしく生きる自由”を追い求める”僕A”は、「もう夢を掴むことはできない」と諦めました。しかしその夢を追い求められないというのは、”僕A”にとって生きている意味がないのです。
それならば夢を追い求めいる”僕A”の状態で死ぬことで、白い羊たちの心の中に”僕A”が存在していた事実を刻んでやろう、というのがここで言う”悪目立ち”なんだと考えています。
誰しも心の中に”黒い羊”がいるがその”黒い羊”を抑え込みながら”白い羊”として生きているという現実を、”僕A”は自身の精神的な死をもって主張しようとしているのです。

そして”悪目立ち”をすることによって、”僕A”は自身の存在を証明することができます。

“僕A”は追い求めていた”夢”を掴むことはできませんでしたが、追い求めている状態で死ぬことにより”サイレントなマジョリティーにはなりたくない”という意志だけは貫き通すことができた。
「黒い羊」はそんな意味を持つ曲だと私達は解釈しています。

-

「キミガイナイ」

キミガイナイ

1stシングル「サイレントマジョリティー」のカップリング曲である「キミガイナイ」ですが、”僕B”が主体となっている”僕B”の空虚感を表現した曲になります。
曲中の”僕”は”僕B”、”君”は”僕A”のことを指しています。
ここに来て1stシングルのカップリング...?と思われる方もいるとは思いますが、「黒い羊」とリンクする箇所があったため、物語の順番として最後に持ってきています。

今 心は すべてが空っぽ ただ 時間が過ぎてしまえばいい
君のいないこんな世界 想像よりももっと退屈だった

出典 : 「キミガイナイ」 作詞 / 秋元康
本当の孤独は 誰もいないことじゃなく
誰かがいるはずなのに 一人にされてるこの状況

出典 : 「キミガイナイ」 作詞 / 秋元康
君のいないこんな宇宙
枕を投げて叫ぶ 消えてなくなれ

出典 : 「キミガイナイ」 作詞 / 秋元康
イマ コノセカイニ ナゼ キミガイナイ? Ah
出典 : 「キミガイナイ」 作詞 / 秋元康

「避雷針」で「気配を消して支える」と決意した”僕B”ですが、”僕A”は夢を追い求める状態で自ら姿を消してしまいます。
“僕B”からすると愛を持って守ろうとしていた”君”がいなくなってしまい、空虚感に苛まれているのがわかると思います。

ここからは次の9thの暗示とも取れる歌詞のピックアップになります。

やがて空が白み始め 鳥が鳴いて 人は誰も目を覚ます
どんな甘い夢も消えて 現実の歯車が動く
さあ これからどうすればいいか?
ほら 朝日が眩しく思えるよ

出典 : 「キミガイナイ」 作詞 / 秋元康

「キミガイナイ」は、”君”のいない世界を一貫して嘆く悲しい歌詞が続く曲なのですが、ここの部分だけ明るい未来を汲み取ることができます。
過去に“僕A”が追い求めていた夢を”過保護な夢”と”僕B”が言い切ったことから、こちらの”甘い夢も消えて”というのは”僕A”がいなくなったことを指すのでしょう。
”僕B”は、”僕A”のいない世界でこれからどうすればいいかはわからない、けど朝日が登るようにこれから先の未来は明るいというふうに捉えていると私達は解釈しています。

-

後編まとめ

1st「サイレントマジョリティー」から様々な経験を経て成長を遂げた”僕A”は、8th「黒い羊」で自身の存在の証明として”悪目立ち”という手段を選び、精神的な死を遂げました。
そんな”僕A”が死んだ現実を受け入れて”僕B”はどのように歩みを進めるのか。

今回ご紹介した16曲ですが、一旦ここで欅坂46の楽曲に登場する”僕”の第一章の物語が終了したと私達は解釈しています。

9thシングルの歌詞には”僕B”しか登場しないのか、それとも新たに”僕C”が登場するのか...妄想が捗ります。
この後の展開が非常に楽しみです。

---

あとがき

後編でもセカアイからのオトシンみたいな流れがありました。笑
私達のように「避雷針から黒い羊まで”僕B”は一体何してたの...”僕A”死んじゃったよおい....」ってなった方、前篇と同じくアルバム等で物語が補填されるのを楽しみにしておきましょう。(絶対にされるといった確証はありませんが)

今回前篇から通して16曲を考察してみた結果、一人の人間の成長の過程を目の当たりにできたと感じました。
こんな経験なかなかできないなーなんて思い、こうやってnoteにまとめてみたのですが、、、皆さん楽しんでいただけたでしょうか?
もしご意見等あれば、こちらのコメントやTwitter等にいただけると嬉しいです。

あと余談にはなりますが、「黒い羊」と「キミガイナイ」のリンクする箇所ですが1つだけご紹介したいなーと思います。

「黒い羊」の歌詞内、文脈が一切なく不自然な箇所が1つだけあります。

薄暗い部屋の灯りを点けるタイミングって一体いつなんだろう?
出典 : 「黒い羊」 作詞 / 秋元康

そして「キミガイナイ」のこちらの箇所。

こんな夜は息を潜め 灯りつけず 闇の中で目を開く
出典 : 「キミガイナイ」 作詞 / 秋元康

どちらにも「灯り」という言葉が入っており、どちらも「希望」や「未来」といった明るいイメージの描写だと捉えることができると思います。
まぁだからなんだよ?って感じではあるんですが、どうしてもここの2つの関連性を無視できなかったので、順番としても1stシングルのカップリング曲がこの物語の第一章を締める形となりました。
ここに関しても考察を深めたいので、ご意見等いただけたら嬉しいです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
このnoteが面白いと思ったら、私達の励みにもなるのでぜひスキを押していただければと思います!
それではまた!


執筆:るんぴっぴ / やんたろけやき


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?