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ランニングの理由、移り変わっていた

ランニングの理由は
「こころから好きだから」と
勝手に思い込んでいたけど、
ふりかえって、薄目で眺めてみたら
移り変わっていることに気づきました。

20代のころ
無理してフルマラソンを走りました。
十分なトレーニングをしていないのもよくなかった。
膝を壊して走るランニングが嫌になりました。

40代のころ「気晴らし」で走ることを再開。
休日も仕事の頭が働き、汗をかいて忘れたくて
「現実逃避」していた、のほうがあてはまる。

そして、走っているうちに
どんどん距離が伸ばせるし、タイムも向上。
ハーフマラソンも故障ゼロで、走れるようになった。
「自己成長」が楽しかった。

走っていて頭が少しボーっとしてくると
さまざまな「気づき」が得られる
いつのまにか「瞑想」のようにも..

もっと楽に走れないのか..と
いろいろ「試行錯誤」してみると
自分独自の自重トレや
スキップドリルも編み出してきた。
自分の思うまま、に夢中になっていたら
楽したい、というモチベーションから
体が鍛えられる、というサイクルが回り
苦しさより「心地よさ」が上回ってきた。

これらのことがぐるぐる回り、さらに
「こころが磨かれる」
「からだが磨かれる」

そんな感覚を実感するようになり
なんともいえない「幸福感」

どんどん良い流れで
「スパイラルアップ」していくのです

・・・・・
そんなことに気づきました。

なぜ、こんなサイクルになってきたのか?

ただ、ラッキーなのか。。
神様が味方してくれたのか。。
無意識にコツをつかんでいたのか。。

今度のランニング瞑想で
無意識さんにも問い合わせてみます📞

サスティナブルに続く活動って
こんな感じで良いサイクルに
入っているんだと思います

ただ言えることは、結局は
力んでいない、がんばってもない
努力というより、ワクワク挑戦
自然にやれているだけなんです