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〝真面目〟じゃなくなりたかった
「araさんは、本当に真面目でいい子ですね」
小学校の通信簿から書かれていたその言葉は、いつからから私にとって褒め言葉ではなく呪縛になっていた。
一人っ子で、親の顔色を見て育った幼少期。
多少なりとも反抗はしたが、“反抗期”と呼べるほどのものもなかった。
私の取り柄は、「真面目なこと」。
特に学級委員をやるとか学年で1番をとるとかそういった「ガリ勉」の類いではなかったが、通信簿でも三者面談でも進路相談でも、いつでも私の周りからの評価は「真面目でいい子」だった。
しかも大体みんなが反抗期を迎えるころ、私は部活に打ち込んでいてそれどころではなかった。
そして部活が終わった頃、顔を上げるともう〝社会人〟のレッテルを貼った自分がそこに立っていた。
そんな右も左も分からずに社会に飛び込んだ矢先に言われたひと言は、
「君ってさ、真面目だよね。真面目で面白くないんだよね、、、」
ーーーーーーーそうか、私は真面目すぎるのか。
全てがマニュアル通りの仕事、全てがレシピ通りの料理、全てがシナリオ通りの台詞。
…確かに面白くは、ないよな。(そもそもこれを真に受けるような性格だから真面目と言われるのだが)
でも、分からないのだ。
どうやったら面白くなるのか。どうしたら中身のある人間になるのか。
それからいろんなことをした。
髪を派手な色にしてみたり、ピアスをいくつも開けてみたり、派手な服を着てみたり合コンに参加してみたりバーを巡ってみたり。
でも、私の周りからの評価は変わらなかった。
「真面目でいい子」だった。
でもそんな中、ようやく気がついたことがある。
「真面目」なのは見た目とか行動じゃなくて、性格そのものだってこと。
だからいくら髪を染めたって派手な遊びをしようったって、真面目なものは真面目に代わりはない。「真面目」の枠を出ることはないのだ。
だったらもういっそ、割り切った方が早い。
真面目で何が悪い?
真面目で悪いことばっかじゃないと思って、もう割り切るしかない。
かえってそう割り切ると、見えてくるものがあった。
無理に取り繕わなくても、意外に人は気にしていない。
いろいろ手を伸ばしてみれば、意外と手が届くものがある。
頭では理解していてもなかなか実現できていなかった言葉たちが、すっと心に落ちてきた。
私の真面目の中での唯一の救いは、人に価値観を押し付けないことだ。
自分の価値観が正しいとは思っていない。
いや、1億人いれば1億通りの価値観があると思っているから、人それぞれ正しいものが違くていいと思っている。
だからこれからもいろんな人と会って、話して、色んな世界を見て、自分の価値観を育てていきたい。
そしていつか誰かに、何かを分けられる人に、なりたい。
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