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神様っていると思う?

「神様っていると思う?」
と聞かれたとき、私には明確な答えがある。
「神様っているけど、きっと気分屋だね」
こう返すことにしている。

この場合の神様は宗教的な意味をもつ神ではなくて、私たちの遥か上にいて奇跡をもたらしてくれるような、漠然とした存在のことなのだけれど。

(私は宗教的な神についての知識がないので、もし不快に思った方がいたらごめんなさい。)

これは日本人特有の感覚だろうなぁ。
多くの日本人は、仏教も神道も篤く信仰しているわけではなくて、ただ生活になじんだ部分だけを享受している。
仏教と神道が混ざり合い、無理に分離させられ、政治的に利用され、そこにキリスト教が伝わり、もはや宗教という名のついた慣習になってしまったという歴史。
お葬式はお寺でやって、初詣では神社に行って、イースターやクリスマスを祝って。めちゃくちゃだ。

日本史ってほんとうに面白い。

話を戻そう

何か奇跡のような出来事が起きたとき、人々は
「神様っているんだなぁ」と言う。
何か理不尽な苦しみを味わったとき、人々は
「神様は助けてくれなかった」と言う。

実に都合のいい考え方。とても好きだ。
そうやって人は、心のバランスをとっているのかもしれないと思う。
いいこともわるいことも、どうしようもなくなったときは、ある程度神様のせいにしておこう。

奇跡は起こることもあるし、起こらないこともある。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」
なんて言う人がいるけれど、絶対に嘘だ。
いなくなりたくないのにいなくなる人はいるし、いなくなりたいのにいなくなれない人もいる。

神様はきっと気分屋で、私的には「神様」というよりは「かみさま」に近い感覚。
決して万能ではない、そんな存在。

神様がこちらを向いている瞬間もあれば、向こうを向いている瞬間もある。
こちらを向いているときに、運よくかみさまの気分が乗れば、助けてくれるかもしれない。

そんくらいのもんだと思ってる。
そう思ったら、なんだか気楽だ。
過度に期待するのもかわいそうに思えてくる。

私にはかみさまが、
心優しい友達のような、まだ幼い妹のような、
不完全ながらも目の前の何かを救いたいと願う、そんな存在に思えて仕方がないのだ。

だからかみさま。
私は貴方を応援しています。

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