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空が好きだ。

そして、空を撮るのが好きだ。

きれいな空を見ては写真を撮りためる。時にはきれいな空を見るために重たい腰をあげて外に出る。


なんで私は空が好きなんだろう。同じ空を再び見ることができないから?きれいで美しいものが単に好きだから?

確かに、空は常に変わりゆくからこそ「美しい今」を保存したくて撮っている。一向に飽きない。それに、VIA(強み診断ツール)によれば私の1番の強みは審美眼で、美しさに惹かれるタイプだからきれいな空が好きなんだろうとも思う。

でも、それだけでは言い表せていない、何かがある。





いつから私は「空が好き」と意識するようになったんだろう。

空を好きになった明確なきっかけは多分ないけど、空を撮るようになったきっかけはフォルダにはっきりと残っている。

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おそらく「きれいな空」を残したくて撮った初めての写真。

2016年3月26日、第一志望ではなかった大学の入学説明会の帰りに来たこの海で、きれいな空を前にして、私は誓いを立てるような気持ちでいた。ベタだけど砂浜に「ガンバル!」と書いていた。

選択を正解にしたい気持ちがあったからきっと、「今の大学を選んでよかったよ」ってあの日の自分に言いたくなる大学5年間を今過ごせている。決して楽ではない、大変なことも山ほどある(2日後に仮提出する卒論がやばい)けど、それも含めてよかったって心底思う。


今思えば、あの節目の日にこんなにきれいな空が在ってくれてよかった。決意ときれいな空はとってもお似合いだ。

空を目の前にしたとき、凛とした素直な自分でいられるから、私は空が好きなのかもしれない。

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「空が好きだ」と言う私は昔、好きなものを好きだと言えなかった。好きだと表明すると「にわか」ではいられない圧を感じていた。

例えば小さい頃から大好きなトマト。私よりトマトが好きな高校のクラスメイトに出会ってからはトマトが好きだなんて人に言えなかった。トマトが好きでありながらトマトジュースは苦手な私と、2リットルのトマトジュースを飲み干すあだ名が「トマト」な人。完全敗北だ。

別に戦っていないのに。「好き」の在り方なんて人それぞれだし、そもそも比べるものでもないのに。そう分かってるけど、好きなものや趣味は人一倍極めなきゃいけないものだという思い込みは拭えない。


でも私は今、空が好きだと言える。

技術的に比較するとしたら私より「きれいに」空を撮る方は万といる。空のスペシャリストはどうしてこうも美しい空に出会えるのかと驚愕するほどにスペシャリストだ。

それでも私は、空が好きだ。空を楽しむ人の在り方がそれぞれすぎて、比較とか競争とかって実質存在しない幻想のようなものだと気づいた。それに、空を楽しんでいる人は別に張り合ってなかった。

自分の中で特別だったらそれは好きってことだし、自分が好きな方法で好きなものを愛せばいい。

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そんな空が好きな私は、最寄駅から家までの帰り道で空を撮ることが多い。大学やバイトが終わって帰る夕暮れ時に美しい空を見かけられたら、その日はもう幸せだ。疲れていても元気が出る。

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駅のホーム。影と空の対照さが好きな一枚。


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雨上がりの水溜りに映る空と電線と電柱が素晴らしい一枚。雨も悪くない。


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これは帰り道じゃなくてコロナ期間中の散歩での一枚。電線が五線に見えて音符とかのせちゃった。


見慣れた道を通ってただ帰るだけだ。特別なことは何もしていない。それでもiPhoneを取り出してカシャっと撮れば、日常は一気に特別になる。

とても手軽に人生を楽しむライフハックではないかと思う。レジュメやスクショだらけの写真フォルダに彩りをもたらすことだってできる。

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凛とした素直な自分でいさせてくれて、好きなものを好きと言えるようにさせてくれて、日常を特別にしてくれる。

そんな空が、私は好きです。


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#ぶんしょう舎  課題①「自分の好きなもの」 (2020.11.30)




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