唱歌の架け橋(第6回)

1ヶ月ぶりの「唱歌の架け橋」シリーズであるが、先月は『春の小川』『朧月夜』『ふじの山』『花』の4曲を紹介した。(初回はオリエンテーションのため紹介曲なし。)

1900年から1915年までは、明治の終わりから大正の始まりまでの期間に当たるが、今週は、大正時代後半(1916年から1925年まで)に登場した唱歌にスポットを当てよう。

大正12年(1923年)、現代の私たちにも非常に親しまれている歌が誕生した。

高野辰之と同じ長野県出身の草川信(くさかわ・しん)が作曲した『夕焼小焼』である。

この『夕焼小焼』の歌詞は、当時、小学校の教師だった中村雨紅(なかむら・うこう)が、今の東京都八王子市にあった自宅への帰り道(=JR中央線の八王子駅から歩いて帰る途中)で思い浮かんだと言われている。

【1番】
ゆうやけこやけで    ひがくれて
やーまのおてらの    かねがなる
おーててつないで    みなかえろ
からすといっしょに    かえりましょ
【2番】
こどもがかえった    あとからは
まーるいおおきな    おつきさま
こーとりがゆめを    みるころは
そらにはきらきら    きんのほし

以上である。

先月も確認したと思うが、この歌も七五調である。

その七五調の「7音」の最初の音を伸ばしたり、「5音」の最後の音を3拍分伸ばしたりすることで、4分の4拍子のリズムに落とし込んでいる。

中村雨紅は、さすが小学校の先生と思えるような、子ども目線の歌詞を書いたものである。

では、曲のほうはどうだろうか。

ソーソラソソソミ    ドドレミレー
ミーミソラドドラ    ソソラソドー
ドーレドラドドソソ    ラソラソミー
ソミレドレレドレ    ミソラソドー

こちらも先月に触れたとおり、ヨナ抜き音階(=ファとシがない)で構成されており、低音のドから高音のレまでのほぼ1オクターブの音程の範囲なので、歌いやすい曲になっている。

歌が出来上がったのが1923年なのだが、この年は、東京は関東大震災で大被害を受けた。

そこから歌い継がれて、今年で101年目なのは、大変感慨深いものである。

今でも八王子市の防災無線で夕方の時報曲に使われているし、都心では品川区でも午後5時に流れている。

中村雨紅は、JR山手線の日暮里駅の近くの小学校に勤めていて、草川信も東京音楽学校の師範科を卒業して高校の教師になっていた。

大正時代や昭和時代は、山のお寺の鐘が、夕暮れ時の時報の代わりだったわけだが、今や『夕焼小焼』のメロディーが時報代わりとは、時代の移り変わりがしみじみと感じられよう。





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