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死ぬには時期が悪い。

お久しぶりですね。みなさん調子はどうですか?
おれは調子は良くないです。仕事はやめたし、うつ病になりました。先日初めて精神科にかかりました。はっきりとした病名があろうが、それはおれにとってさほど重要ではなかったけど、重度のうつだそうです。診断書出せます。

去年の9月のはじめ、付き合っていた女の子が交通事故にあいました。一命は取り止めたものの、打ちどころが悪くて二度と目が覚めないと言われました。その時点で自分の頭がおかしくなっていることには気がついていたけど、こうなることは止めようが無かったように思う。初めこそ自分がするべきことについて考えたり、周囲の人に助けを求めたり、現実に対して抗ってみようとしたものの、どうにもこうにもならなかった。それから程なく、仕事を辞め、他人と会話するのを止め、死んだように生きていました。仕事を辞める時、本当は死ぬつもりだったのに。新型コロナ蔓延で病院に顔を見せに行くこともできなかったし、自分の命の使い道を全て失ってしまった。ただ、自分の死を彼女に背負わせたくなかったから、生にしがみつくことにした。死を先延ばしにした。自分の命は惜しくないけど、これ以上の悲しみを増やすことは避けたかった。

はじめの数ヶ月のうち、ほんの数分だけ彼女の顔を見られる機会があった、辛くても少しは頑張らなければ、という気持ちが沸いた。それから幾度目かの姿を見る機会がよくわからない理由で無くなった時に、最後に心を支えていた何かが完全に折れたことをよく覚えている。本当にもうだめだ、という瞬間はこんなにもはっきり分かるんだな、と思った。自己診断で明らかにうつ病とわかる状態でも、病院に行く気は湧かなかった。自分の気持ちが晴れたところで、現実は何も変わらないし、悲しみを呑み下してしまうことは逃げだと思った。自分は苦しむべき存在だと思った。そもそも、医者なんかに人間の深淵たる精神をどうにかできるとは思えなかった。心の傷は体の傷と同じように、不用意に弄るたび、じゅくじゅくと醜く慢性化していく。もはや何が悲しくて、自分がどうしたいのかもわからないまま、死だけを望んだ。

人とは話したくなかった。だれにも救えないことは自分自身にはよくわかったから。小一時間他人に相談したところで、小一時間で思いつくような正論を叩きつけられた。正論を叩きつける人間はどこか満足げに見えた。ただ、慰めて欲しかっただけだけど、どうも何か意味のある言葉をぶつけてみたくなるものらしい。かといって言い返すのも悪いので、助かりました、頑張りますと言ってへらへら笑うことが関の山だった。暗い話ばかりして人の気を悪くしたくないので、どうしても最後には元気よく振る舞ってしまって、余計に疲れた。申し訳なかった。

なんの欲求も湧かないことはうつの症状と認知しつつ、ゲームをしたりして気を逸らしているつもりだったけど、暇をつぶそうと意識してする娯楽は何の気晴らしにもならなかった。かわりに、徐々にぼんやりとしている時間に置き換わった。お金は将来のために貯金していたので心配はなかったが、お腹も空かないし、煙草にだけ使った。むしろ、お金がなくなれば自殺できるのになと思っていた。実家に引きこもって暮らしていたので、夕食だけは食べさせられた。何を食べても何も感じないが、戻したりはしないので胃に流し込んだ。父親は、そろそろ前を向いて新しい幸せを探すべきみたいな浅い人生論みたいなものを定期的に言いにきた。腹がたった。母親は仕事を辞めた時は、首を絞めて突き飛ばされたけど、あとは黙って放っておいてくれた。

そうして過ごしているうち、状況の一つでも変えようと思い立ち精神科にかかることにした。近所のましそうな精神科を探して電話したら、一週間待ちと言われた。普通なら病院にかかるまで一週間も待ったら、容体がてんで変わってしまうだろうと疑問が浮かんだが、一週間待つことにした。

そうしたら自分が病院にかかる前に母親が死んだ。ギャグ漫画ならそっちが死ぬんかい、でオチがつくところだが、人生はそれでも続いていく。大動脈解離という心臓が爆発する病気で即死だった。なんの前触れもなかった。救急車が着く頃には心臓が止まっていたらしいが、形式上、家族が揃うまではよくわからない機械に繋いでおいてくれた。数ヶ月ぶりに電車に乗って、最後におれが病院についた瞬間死亡宣告された。

日の当たらない安全なシェルターで死を待つ惨めな生き物は、通夜と葬儀で否応なく、外に引きずり出された。葬儀屋と手続きを交わし、関係者に連絡して、自分以上にとり乱す周囲を眺めながら一家の長兄たるやり取りを演じ、システマチックに送った。自己満足ですらないが最後くらいはきちんとしたかった。悲しみは湧かなかったが、自分には悲しむ権利がないと思った。残ったのは申し訳なさだけだった。母にとって自分は恥ずかしい存在だったと思うから。父親は周りの人とお葬式ごっこをしているおれを見て、一安心したのか、これでもうすべて大丈夫だ、正常だ、みたいなことを言っていた。もう黙っていてくれないかと思った。

病院に駆け付けてから三日間、ほぼ眠る暇もなく動き続けて、その翌日に精神科にかかった。SDSという簡易検査を受けて、面談をした。簡易検査の結果は重度のうつだったが、非常の余韻で過剰に分泌されたアドレナリンのため、自分の精神状態と出来事をあまりにも流暢に語る姿はとても滑稽に映ったのではないかと思う。おれにとって過不足なく自分の苦しみを伝えることは難しい。散々自分語りしたあげく、自分で出した結論は、「多分大丈夫だと思います」だった。何しに来たんだお前は。

結局、本人がそう言っている以上は投薬や通院ということにはならずに、様子を見て悪化したらまた来てくださいと言われた。悪化したら多分来ないと思います、と思ったことは黙っておいた。規則正しい生活を心がけて、毎日散歩してください、と素晴らしいアドバイスを頂いた。別に薬が欲しくて来たわけではないのでよしとすることにした。金返せ。

そうして病気の大義名分を得て、安全なシェルターに戻れたか、といえばそうではなく、母親の死に伴う社会的な手続き、母親が全て管理していた家計と個人資産・物品の整理。毎晩の食事づくり。それらに伴う膨大な雑務がおれの役割になった。おまけと言ってはなんだが、葬式の時に久しぶりに会った叔父さんが、将来を心配して一計を案じてくれて、予定調和の面接をこなして広告代理店マンになった。この手だけは使いたくなかったのだが、環境がおれを安全な世界に帰ることを許さなかった。毎日たまらないぐらいしんどいのだけど、おれが怠け者だからなのか、うつのせいで疲れやすいのかさっぱり分からない。

そうして、毎日与えられた役割を演じている。もう周りの人間は安心しただろう。引きこもりのダメ息子が母親の死を乗り越えて社会復帰を果たしたのだから。これ以上ないぐらいの美談だ。一安心だ。だが、おれの心は誰が安心させてくれるのだ?こんなのは自分の意思じゃあない、精神と肉体は乖離し、まるで糸の切れた凧だ。与えられた役割をこなすだけの人形だ。何も分からない。生きる意味も、楽しみも、目的も。ただ、おれの心は精神と肉体がお別れした時に死んだのだろう、と思う。最後の瞬間に感じた怒りだけが人形を動かし続ける。

この世に恨みを抱え、生きたまま悪霊となったのだ。

おれの精神は彼女が言葉を話せなくなったあの日に囚われたままだ。本当ならあの日、おれも彼女も、死ぬべきだったのだ。彼女に意識があるのかも定かではないが、二人の肉体だけが無惨にも無理矢理生かされ続けていると思うのは、おれが悲観主義者だからだろうか?過去の牢獄の中で永遠に結ばれたと考えることもできるだろうか。それもいいのかもしれない。期間にすると短いが、一生分の幸せを使い切ってしまったんだろう。今後、一切の幸せを感じずに与えられた役割を演じ続けよう。おれも彼女も、悲しみを感じる心が死んだのだから。ただただ、すべてがどうでもいいのだ。流れに身を任せよう。この”間違った”考えは誰にも否定させない。大切な人を救えないろくでなしは生きたまま地獄に落ちるのがお似合いだ。

まっ、全部嘘です。
Don't believe the rumor.


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