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#42 環境と教える人。2019ver.

私は高校1年の冬にこんな書き込みをした。
もう気付けばだいぶたった気がする。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1574896046162372&id=100009259750529

環境と教える人って大事なんだなぁって
この1年で思った
いい環境にいればそれなりだし
悪い環境にいればそれもそれでそれなりになる

と書き込んだ。


この頃私は受動的に行動することへの疑問と
このままでいいのかという
やりきれない気持ちでいっぱいだった記憶がある。
当時高校1年生。
研究者になりたい一心だった。
教室に貼られるたくさんの
サイエンスキャンプやプログラムの募集要項。
JSECの募集要項が目に付いていた。
自分と同い年の人が世界の第1線で研究開発し、
輝いていることに衝撃を受けた。


高校生でもできるんだ。

今まで受動的だった自分が悔しかった。


夏にALT以外の海外の人
特に同年代の人たちが
自分の高校に来て
自分の知らない世界が沢山あると思った。
夏休み、初めての海外でイタリアに行き
日本で知りえないことが多いことを痛感した。
1人の留学生と出会い
大学で言うチューターのような役割を託された。
アメリカからの留学生。
私は全然英語が喋れなかった。
伝えられない悔しさ。
英語の喋る力を叩き上げたのは
この時だったかもしれない。


そんなこんなで普通から少しづつずれ始めた頃、

私はこの投稿をした。


環境と教える人って大事なんだなぁって
この1年で思った
いい環境にいればそれなりだし
悪い環境にいればそれもそれでそれなりになる


この言葉は私の脳裏に焼き付いている。
そして今でも原動力であって原点にして頂点。


環境

どんな環境に所属するか。
誰と関わるか。
どこでやるか。
など5W1Hで自分に問い続けている。
類は友を呼ぶ
という言葉があるが
これは本当で
自分にとってなんか違う
と思った環境に長くいる必要は無い。
成長したいなら自分より上の人が
沢山いる環境に自分を投げ込む必要がある。
そこに受動的でいる必要は少しもない。


教える人

正直なところ何かを教えてあげるよ
という感じで寄ってくる人は
大抵自分を見れていない。
あんまりすごい人はいない。
大事なのはついて行きたい人
を見つけ技や感覚を
自分のものにしていくこと。
考えて欲しいのは
仮にあなたに憧れている人がいるとする。
そのときにあなたは100%
その人に近づきたいのか。
たぶん大抵の場合憧れている人に
なりたいとはならないのではないだろうか。
教えてくれる人は教員や塾講師だけではない
その辺にいる人たち
全てであって限りを決める必要は無い。



最後にコミュニティや人脈作りと言われる今。
私は広く浅くではなく本当に生きるのは
太くて強いものであると思う。

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